猫にキャベツ

10月27日(水)

寒い一日でした。朝は、もう少しで霜が降りるかな、という程度の冷え込みでした。北日本では雪となったそうで。そして、台風接近中…。やっかいな気候が続きます。

農閑期、農閑期、といって喜んでいたら、いつのまにやら作業が遅れ気味になっていることに気付き、ちょっとキアイ労働モード中です。昼の休みも短めにして、暗くなるまで作業をして、暗くなってから出荷の用意少々、それから年明けのマラソンに向けてのジョギング。そしてこれを書いている。もう、完全に超マゾ男君です。頼むから誰か止めてくれ、という感じです(笑)。毎日こんなんじゃないけど、今日はちょっとひどい。

これじゃまるでマグロです。止まったら死んでしまう、といわんばかりです。何でこんなふうに動き続けてしまう時があるのか、とふと考えてしまいます。やると決めたことを何が何でもやるということは、確かに気持ちがよいことです。雑念を振りほどいて、今に集中するのはワンダフルなことです。メリハリをつけて遊びにでかけたりする時間を捻出するためにもガツガツ働いているというのも確か。やりたいことが多すぎるのかも。

でも、シンプルにそうも言えない時もあります。何かを恐れていて、その何かと向かい合うために動きまくってしまうこともよくあります。今日は、そんな感じかな。自信の無さの裏返しともいえます。自分に課した何かをひとつひとつ乗り越えることで、強くなろうとしているのだと思います。その行動の裏には、何かしらの成果があげられないと自分を自分で認めてあげられないという「弱さ」があるのでしょう。そのおかげでガンガン働けているのであれば、長所は短所、短所は長所、のようです。ま、ありがたいといえありがたいです。でも、成果があがってもあがらなくても、そんなこと関係無しに自分を認めてあげることができる本当の「強さ」が、僕にはちょいと不足しているように感じています。


人はそれぞれにいろんな課題を抱えて生きているものですが、僕の場合は、そういうことのようです。ぼちぼちでいこう、ありのままでいいんだ、生きてるだけで素晴らしい、といつも自分に言い聞かせていはいるものの、ココロの奥にいつも届いているかどうかというと、ちょっと怪しげだなあ。やはりココロの奥底では、「○○ができるから自分は価値がある」という評価を自分に与えていることがけっこうあるようです。

結局、自分自身をそういう冷たい視点でしか見てあげられないのだとすると、人と接するときにも同じような視点で人を見てしまうものです。仙人じゃないのである程度はしょうがないけど、できることならばそういうものはなるべく小さくしなくちゃ、穏やかには過ごせません。


例えばやれることを自分なりに精一杯やった上で、それでも畑が上手くいかなかったり、お客さんに迷惑をかけたり、はたまた誰かのお世話になりっぱなしになろうとも、人としての価値が下がるわけではないはずです。質素きわまる暮らしをしようとも、そもそも農業に挫折しようとも、それでも人としての価値、生きものとしての価値は、まったく変わりません。

これだけ恵まれている暮らしをしているにもかかわらず、時としてそういう失敗をやたらと恐れている自分がいます。そしてへんちくりんな縦軸の中で自分の位置を確認しようとする自分もいます。生き物と接していると、「こらこら、はやくそういうとこからいいかげん抜け出しておいでよ~」という優しい声が聞こえてくるのですが、それが聞こえないこともけっこうあります。今日は、なんだかその声を聞き取るチューンニングがずれているみたい。まあ皆同じといえば同じなんだけど、ふとしたことでそういう日がやってきます。そんな日には、とりあえず書いて書いて頭の整理、という感じなのかな。


もっと、本質的に、本当の本当の意味で自分を認めてあげられるようになれば、いろんなことがもっとスムーズに回りだすのは間違いないように思えます。その一点を、ごまかさないで、そして、後回しにしないで、見つめてゆく勇気が欲しいものです。今日は、ふと「後回しにしない」ということに覚醒し、こういうごちゃごちゃ考えモードなりに、ワクワクしちゃいました(笑)。そう、もうひと皮むけんといかんですたい。そのための、いろんな作戦を計画中です。やったるぞ~。少しはましになるといいなあ。まあ一歩一歩目の前のことやね。

おっ、ほっといたら勝手にどんどんこういう方向に話が進んでしまいます。まいったまいった。今日はこういうことを書くつもりではなかったのだけどな。書きなぐりモードに入っちゃった。でも、よし、頭すっきり。読んでくれる人のことはオカマイナシ、そして自意識過剰バンザイ。やっちゃいましたわ~(笑)。


それにしても、うーん、はやくリアル農閑期に入ってほしいものです。薪ストーブの火に当たりながらゆっくり本でも読みたい。メリハリもつけないとね。もうちょっとのガマンだな。頑張れ自分っ。



さて。

今日は出荷9箱。さつま芋収穫。明日予定している米の脱穀の用意。さつま芋が予想を上回る豊作です。多すぎかも。嬉しい誤算です。でもはたして全部売れるのだろうか…。同じようなことを毎年繰り返しているような気もします。なかなか成長しないなあ。困ったもんだ。



放射冷却で冷え込んだ朝は、空気が澄んで、とてもよい気分です。

思わず、車を走らせてしまいました。収穫急がなくちゃ、箱詰め間に合わんっ、やばいかもっ、と思いつつも、

101027南郷谷

行きたかったんだもん。しょうがないよね。自分が住んでいる谷の美しさに力をもらえるって、ステキなことです。


ほうれん草も、いい感じです。これから霜にあたり、甘くなってきます。

101026ほうれん草

ハヤトウリが鈴なりです。夏の間まったく元気がなかったのですが、今頃もりかえしてきました。でもこれまたもう少しで霜にやられそうです。もうちょっとはやく実が太ってくれればよかったのになあ。

101026はやとうり鈴なり

防虫ネットの中で、キャベツが元気もりもりです。収穫本格スタート。

101026キャベツ

あんまり綺麗に巻いていたので、レオさんにも見せてあげました。が、

101027レオキャベツ

ちらりと一瞥しただけで、通り過ぎて行きました。


豚に真珠、猫にキャベツ。


そんな秋の一日でした。ちゃんちゃん。

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2010年10月27日 田畑 トラックバック:0 コメント:0

胸の中にて鳴る音あり

10月24日(日)

朝です。雨です。明け方、かなり早く目が覚めてしまったので、早朝の、書き物をしてしまいました。いやー、悪癖がおさまりませんなあ。長いですが、お暇な方はどうぞご拝読を。みなさんにとって、今日がよき一日でありますように。





ちょっとした読書好きの方なら誰しも、時折手にとって読み返したくなる本というものがあるのではないでしょうか。半年に一回、あるいは一年に一回くらいはパラパラとページをめくり、著者の世界観や言葉のリズムに浸ってゆく。そんな中で、暮らしの中で埃をかぶってくることのある感性を磨きなおしたり、何か大事なことを思い返したりするのは、ステキな時間の使い方だと思います。

僕にとっても、そういう本や作家さんは何人かいます。その中のひとりに、上原隆さんという方がいます。

独特の手法で、じんわりと読む人を温めてくれる文章を紡いでいる方です。市井の人々にインタビューを重ねていき、誰しもが持っているエピソードを、短編のルポタージュという物語に仕上げてゆきます。生い立ちから、平凡な日常の何気ないひとコマ、そして誰にもいえないようなコンプレックスまで、上原さんの手によって見事な読み物となり、輝きを放ち出します。

出てくる人物は、様々です。七十年間ずっと時計を修理してきた職人。介護地獄に向き合う元キックボクサー。“不倫のメリット”に悩む女性。レズビアンのシャンソン歌手。夢をみてオーディションを受け続ける若者たち。脳に障害のある子を持つハードボイルド作家。倒産した地方新聞社の元社員たちの困難な再就職。「子殺し」の裁判ばかり傍聴し続ける女。十年間第一線で活躍しながらある日突然「戦力外」通告されるプロ野球投手。ホームレス同然の生活を続け妻子からも捨てられた芥川賞作家。アパートの五階から墜落し両目を失明した市役所職員。

よくもまあ、こんなにも様々な人たちと縁をもつことができるものだなあと感心してしまいます。そして、こんなプライベートなことを、よく聞きだせるものだと驚いてしまいます。誰しも他人から土足でズカズカと上がられたくはないものです。そして覗き見られたくはないです。でも、他人の不幸やプライベートが気になる、そして好奇心をくすぐられてしまうのは、哀しいけど事実です。世の中とはそういうものなんだろうし、自分もその中のひとりです。

でも一方でやはり理性というものもあります。人の苦労を聞いて感情を揺さぶられることもあるし、なんとか自分にもできることはないだろうかと真剣に考えることもあります。これもまた世の中の一面です。

上原さんの本からあふれ出す雰囲気は、独特です。露骨な好奇心がむき出しの週刊誌記事のようになってしまいがちな話でも、温もりのある、そして読む人に力を与えてくれる話にしてしまいます。明るい話ではないものが多いし、頑張れとは一言も書かれていません。いわゆる癒し系の世界とも異なります。淡々と、淡々と、事実が書かれているだけです。でも、何かを感じさせてくれます。

事実は、哀しいほどに歴然と存在するものです。でも、それをどう読み取るかは各人の自由です。「どんなに困難な状況の中でも、受け入れなよ。何かしら前向きになれる出来事やつながり、あるいは貴方なりの処世術があるはずだよ。それは、きっとどこかの誰かを勇気づけることもあるんじゃないかなあ。そうなればいいね。」という上原さんの内なる声が、ページをめくるにつれて聞こえてくるようです。決して、そういうベタな言葉を使わずに、極めて客観的な表現で、その声を届けてくれます。事実を切り取る、摘み取る、という手法で。彼自身の主観でさえ、ひとつの客観的事実としてしまうその表現力には、もう、あっぱれです。


さて。

人は、自分が経験したことしか本当の意味では「分からない」のだと思います。病気になった人にしか、病気の苦しみは分からないものです。いじめられた人にしか、いじめられっ子の気持ちは分かりません。人とお互いに分かり合えているかどうかを確認することすら、極端に厳密に言えば不可能なわけです。それは事実だと思います。ひょっとしたら「分かる」は「分かっているみたい」「近いものを感じている」と言う方が正しいのかもしれません。

安易に「あなたの気持ちは分かるよ~」という言葉を発するのはあんまりカッコイイことではないように僕には思えます。「分かる」という前提に立ってしまうと、「分からないのだけど、分からないなりに相手のことを理解しようとする努力」を放棄してしまいがちです。「分からない」けどなんだか惹かれてしまうとか、「分からない」けど何かさせてもらえないか、というココロが僕は好きです。



自分はずっとコンプレックスを抱えて生きてきたんだ、と上原さんは書いています。インタビューの相手の方と、同じ体験をしているわけではなく、そういう意味では「分かり合える」はずもないのです。でもその文体は、まるで「分かり合えている人」が書いているかのような温もりを帯びています。きっと上原さんは、「分からない」という前提のまま「分かろうとする努力」をコツコツと積み上げている方なのだな、と読むたびに感じます。そんな姿勢で人と向かい合うことが出来れば、誰しもへの「愛」は持つことはできなくても、例えば「いつくしみ」であったり、「いとおしさ」「つながり」みたいなものは感じながら生きていけるように思えます。

もちろんその歩みの礎にあるのは、言うまでもなく自身のコンプレックスなのでしょう。よく言われることですが、コンプレックスを持つということや、自信がないということもまた、創作活動の強いモチベーションとなるようです。そうなるともう、何が損で何が得かよく分からなくなります。損得の判断など意味をなさないものなのかもしれません。

悩んでドツボにはまったり不安に足もとを掬われたりする時には、だいたい「損か得か」の判断をしているものです。突き詰めていくと、もっとも「得」をする選択肢意外の行動を選ぶことはすべて「損」という思考に陥ってしまいます。もう、この苦しさったらひどいですわ、ホントに!(笑)。自分のがんばりでどうにかなることはどうにかして、あとはもう「知らん」「分からんもんは分からん!(少し逆ギレふうに)」「いきあたりばっちりでなんとかなるやろ」とぼやいていたほうが、どれだけ健康によいかわかりません。日本人の気質として、人事を尽くして天命を待つ、ということはなかなか難しいようです。どこまでもどこまでも人事を尽くしてしまう人が多いように思えます。と同時に、その反動として刹那主義に走る若い人も最近は多いみたいですが。何事もバランスですなあ。あっ、このあたりの論述は、同様に「たまに読みたい作家」のひとりであるひろさちやさんのほぼ受け売りなので一応ご紹介まで。


というわけで、先日読んだ一冊。


胸の中にて鳴る音あり 上原隆 文藝春秋

101003上原さん


お暇な方、物好きな方はぜひぜひ。とはいっても、やっぱりちょっと癖があるし、けっして明るい内容ではないので、みんなから好かれるという本ではないですが。クラス40人いたら、マイナーな5人くらいには受けるといったところかな。あと、上原さんの本は立て続けに読むと、同じような内容が続くので、3冊目くらいから飽きてきます(笑)。だからこそ、忘れかけた頃に、半年か1年に一回、がいいのだなあ。読んでみて、「分からん!」と思われたら、それもまたよし。そこから、「分かろうとする」ことが始まるのであれば、嬉しいことです。


あっ、そういえば前にも上原さんの本の紹介を長々と書いたことがあったなあ。2回目だった。今気づいた。ありゃりゃ。ま、いっか。


さてはて、長くなりました。ご拝読感謝です。



2010年10月24日 ひとりごと トラックバック:0 コメント:0

婆ちゃん

10月20日(水)

朝から生暖かい曇天、夕方には久しぶりの雨となりました。

出荷7箱。出荷作業小屋の大掃除。今日もまた淡々と作業。なかなかいい感じです。

あまりにも雨が降らないので、玉ねぎの苗に水をやろうかどうか迷っていました。なので今日の雨は嬉しかったです。一方で、ニュースでは奄美の大雨を伝えています。ここ2日ほどで、10月の例年の降水量の2倍以上の雨がふったとのこと。うーん、こういうニュースを聞くと、若干どぎまぎしてしまいます。他人事ではありません。毎度のことながら気候変動を痛感です。


しかしながら!!

しぶとく続いた残暑の影響にも負けず、秋野菜が出揃ってきました。夏野菜と秋冬野菜の間の端境期を無事乗り切り、いつのまにやら野菜セットの中身がてんこ盛りの時期となってきました。

朝の収穫。

102020軽トラ

人参が大きくなってくると、ほっとします。キャベツも、防虫ネットのおかげでばっちりです。

100120人参

芋類なども、まあぼちぼちの収量は確保できそうです。冬瓜や玉ねぎの在庫もまだまだあります。

102020芋とか

畑のレタス類。暑い時期に育苗をがんばった甲斐がありました。

101020レタス

というわけで、セットの中身がなかなかの充実モードです。

卵、ジャガイモ、人参、玉ねぎ、さつま芋、里芋、間引き大根、カブ、山東菜、レタス、ナス、ピーマン、インゲン。といった感じです。

様子を見て、冬瓜、つくね芋、チンゲン菜、キャベツ、小松菜、カボチャ、キューリ、ほうれん草なども入れて参ります。もう少しで、白菜も仕上がってきます。ごぼう、ヤーコンももうそろそろかな。ハヤト瓜もあるなあ。いやはや、これで安心して冬を迎えられそうです。よっしゃあ~。


さつま芋を掘っていたら、ハタケシメジに遭遇。

102020ハタケシメジ

さつま芋そっちのけで、収穫。毎年のお楽しみです。けっこう量がありました。ご近所さんにおすそ分けをしていたら、あっという間に無くなってしまいました。いやー、美味でした。




さてさて。



いつぞやにご紹介した隣の婆ちゃん。

一時期、だいぶん調子を崩していました。娘さんたちが間を空けずに代わる代わる駆けつけ、面倒をみていました。病院の先生にも随分よくしてもらったようで、いくぶん元気が戻ってきたようです。

先日、自慢の花畑で花を摘んでいる婆ちゃんの姿がありました。顔色もよく、体調もよさげでした。

「おはようございます」

「おはようございます」

「今日は、えらく体調がよさそうやね。顔がつやつやしとるたい」

「分かるね。今日は、だいぶん気分がええ。」

「そりゃよかった。まあ、無理ばせんと、ぼちぼち動かないかんばい」

「ほんなごつなー。まあ、娘たちがあんだけ世話ば焼いてくれとるとだけん、もう一回は元気にならんと申し訳なかたい。せっかくだけん、あと1年位は生きてみらんといかんばいた。はっはっはっ」(と、笑う婆ちゃん)


何気ない朝の会話でしたが、僕としては、ちょっと涙腺が緩んでしまいました。いつもいつも調子がよいわけではないし、きつい時にはきつそうにしています。そんな中、なかなか言えないぞ、このセリフは。

娘さんたちの気持ちに応えたいから、もうちょっと生きてみる。それも、欲張って何年も長生きして世話をかけ続けてもらうということでなく、まあ、あと1年くらいはなあ、という絶妙な言い回し。他人が言えば「1年」はひどい言葉だけど、本人が口にすると、すっと笑えてしまいます。これぞユーモア。うーん、お見事です。ほんとに。

婆ちゃんは、いつも、人に何かをしてもらうことではなく、人に何がしてあげられるかを考えているように見えます。自分の体の自由がきかなくなっていきている今でも、「何もしてやれんで悪かねえ」と、僕に言います。僕が隣に来たばかりのころには、いつもいつもおかずを差し入れしてくれてました。今は、それができなくて、ちょっと歯がゆそうです。

誰に対しても、というのは難しいかもしれません。それじゃあ人じゃない。でも、できるだけ周りの人や生きものや自分の子供に対して、そういう姿勢で毎日を生きること。それは、期待に振り回されることなく、いろんなことを「待てる」生き方なのかも。小さな足もとの光に気づくことが出来る生き方なのかも。思いや行為は回り回って、自分に還ってくるものなのかも。ならばジンセイは捨てたもんじゃないのかも。

いろんな幸せの形があるけど、これも確かなひとつの形に違いない。と、婆ちゃんから学ぶ今日この頃です。


とはいえ、自分ばかりが可愛くてしょうがない我が身。なかなか実践は難しいですな。でもまあ、やれる範囲でやっていければ、それはそれでなかなかステキです。オトコマエにもなれるかも(笑)。もうちょっとは頑張ろうっと。




最後に。

これまた、いつぞや紹介した旭爪あかねさんが、明日ラジオに出ます。

旭爪さんは、引きこもり状態の女性が「農」との出会いで再生の一歩を踏み出していく「アンダンテ」という小説の原作者です。ご自身の体験をもとに書かれた物語です。泣ほろりです。

NHKのラジオビタミンの中の、ときめきインタビューというコーナーに出られた時の再放送です。朝10時からです。

と書きつつも。あまりに直前の紹介で、紹介の意味をなしてないですな、こりゃ。でもまあ、もしタイミングがあえば、ぜひ、ご拝聴ください。

2010年10月20日 今週のお野菜 トラックバック:0 コメント:0

サメビタキ

10月17日(日)

快晴秋晴れの一日でした。

玉ねぎ植え付け前の堆肥播き、トラクターかけ、畦の竹きり、ほうれん草などの播種、などなど。淡々作業日和といった感じ。だんだん日が短くなってきて、ここのところ、ほどよい労働量がとても心地よいです。


昨日は野草園の探鳥会でした。

毎月参加していると、季節の変化がよく分かり面白いです。昨日は、キビタキ、リュウキュウサンショウクイ、サメビタキがかなりばっちり見えて、お得な感じでした。今は、キビタキなどの夏鳥の出遅れさんと、サメビタキなどの渡りの最中の旅鳥さんの季節。もう少ししたら、冬鳥の季節です。森の木の葉っぱも落ちてくる頃には鳥も見やすくなります。楽しみです。

というわけで、サメビタキ。こういう場にupするにはちょっと強引な一枚ですが。

101016サメビタキ

山の上の針葉樹林で繁殖し、南に帰る途中には里山や低地に姿を見せます。見晴らしのよい木のてっぺんにじーっと留まります。そこから急にとびたち、空中の蛾などの虫を口にして、またもとの場所に戻ります。フライキャッチんぐと呼ばれる動きです。あっぱれでした。

あきのひかりに照らされるものたち。


アカメガシワに絡まっていたスズメウリの実。「食べられるよ」と教えられ、食べてみました。ほんのり、甘かったです。

101016スズメ瓜

シラネセンキュウ。セリの仲間です。

101016シラネセンキュウ

ナガミノツルケマン。

101616ナガミノツルケマン

土に還ろうとしている、セミの抜け殻。

101016セミ

ネムノキのさや。マメ科なので、

101016ネム

ちゃんとマメが中に入っています。

101616ネム種子

立ち寄ったKさん宅にて。

アカタテハのさなぎ。ちょっと分かりづらいですが、金色に輝くポツポツに、いつも魅せられてしまいます。

101616アカタテハ

抜け殻。金色は、やっぱり消えちゃうんだなあ。

101016さなぎぬけがら

キュウイ。

101016キューイ

植えて3年目でこの生りとのこと。すごいなあ。借地借家借畑では、やっぱり果樹はハードルが高いです。こういう鈴なり果樹を目にすると、もっともっと自由に使える土地が欲しいなあ、と欲がどんどん沸いてきて困っちゃいます。まっ、とりあえず目の前のできることをやっていくのみ。(と、いつも同じこと書いておりますなあ)



気持ちのよい季節です。

光を。風を。音を。水を。つながりを。感じていたいものです。




つながりは、作るものではなく、もともとあるもの。

ここにも。そこにも。どこにでも。

それを感じるのも、感じないのも、自分。

感じられない時。つながりを拒んでいるのは、自分。

自分の中にある、欲。

自分をよく見せようという欲。

評価されたいという欲。

自分の力ではどうにもならないことでさえも、
どうにかしたいと思ってしまう欲。

数えられないほどの欲。

そう。いろんな欲と、ほどよく付き合っていけるその時。

秋のひかりは、今よりもっと優しく、
足もとを照らしてくれるのかもしれない。






ん~っ、最近ちょいとポエティックだなあ。すんませんっ!

2010年10月17日 ひとりごと トラックバック:0 コメント:0

お出かけ

10月13日(水)

曇天の一日でした。

先週末の体育の日前後の連休、この時期としては初めて、という位にちょこちょことお出かけの連続でした。就農4年目。そろそろ、まあそれなりにではありますが、気持ちと時間に余裕をもたせることができてきているのかな、と感じて嬉しくなりました。

でも、家を空けすぎたつけがまわり、昨日今日と、怒涛の出荷ドタバタてんぱりモード。家の中もすっちゃかめっちゃか。でも日中は畑優先。玉ねぎ苗の草取り、追肥。慌しいのは、自業自得ですなあ。まっ、明日にはリズムを取り戻して普通の状態に戻れるかな。がんばろうっと。


連休中のお出かけの様子。

村の球技大会。

101010球技大会2

球技は苦手だし、何かと忙しいし、出来ることならサボろうかなあと思っていたところ「ソフトボールできるど。名前入れとくけんね。」と言われ、参加。でも、見事な補欠要員でした。しかしまあところがどっこい、練習で意外に体が動き、かなり面白かったです。ノックなんて受けたのは二十何年ぶり。よい気分転換になりました。期待してないことほど、やれば案外楽しいものですね。それにしても、贅沢な眺め。南阿蘇村はよかとこです。


ストーブ用の薪を取りに行きました。今年の1月に伐ったというケヤキ。まだ少し湿っている感じ。ちゃんと燃えるかなあ。

101010薪

道すがらの眺め。

101010阿蘇谷から

薪とりの段取りをしてくれたBさん夫妻。同世代の阿蘇移住組なかまです。この日は、「球磨村の友達から鮎が送られてきた」とのことで、わいわいがやがやと食事。

101010あゆ

さすが名高い球磨川の鮎。一尺近い大きさ、身のふくらみ、脂の乗り具合、もうお見事でした。



阿蘇の坊中キャンプ場にて。「あそびのくに」というライブイベント。友達がステージに上がるので、行って来ました。奥に見えているのは九重連山。これまた見事なロケーションです。

101011遊びの国

この日は、どうしても日中に終わらせておきたい事務仕事がありました。ちゃんと見たいステージは最初と最後の2組。間に家に戻るのはちょっとめんどくさい。えーい、だったらライブの合間にやってしまえ。というわけで、キャンプ場のテーブルにて仕事。ティピー(ネイティブアメリカンのテント)が広がる、ゆる~い野外ライブ会場で事務仕事をしている俺っていったい何者!?と、ほっこり笑えてしまいました。いろんなことに折り合いをつけていくことそのものを楽しめたらステキだなあ…、と思いながら。


ハウスの脇のススキ。何度も刈っていたので、今頃花が咲きました。

101011ススキ

黄色いのがおしべです。花弁はなく、花粉を作る葯という部分がむき出しです。たわしのようにゲジゲジしたものが雌しべ。花粉がつきやすい形をしてます。いやはや、キュートです。

101011ススキ花




さてさて。恥さらしもなんのその!ポエムです。だんだん風貌はオッサン化してきているにもかかわらず、いつまでたってもココロはまるで思春期。我ながらすごいわ~。どこまでこのままいけるかなあ(笑)。


「見守るということ」


気がつけば、いい年齢。
周りの友達は、子育てまっさかり。
みんな、子どもにいろんなことを教わりながら、成長してるみたいだ。

誰かが言っていた。
本当に手のかかる数年間が終われば、あとは見守っていくことが
親の仕事なんだ、と。
そうなんだなあ。
木のわきに立って、見る。親という漢字にもそうある。

ふと、思う。

ジブンも、親から見守られて生きてきたんだろうなあ。
それは、すごいことだ。

そして、また、ふと思う。

いろんな人からも、見守られてきたんだろうなあ。
ほんとうに、すごいことだ。


でも、ジブンは、だれかを見守ってきただろうか。
笑ってしまうほどに、いつも自分のことで精一杯。
見守るということは、なかなか難しい。


でも、それなりにではあるけど、ほどほどに成長したジブンも
確かにここに在る。
見守るということは、とても幸せなことのようだ。
そろそろ、見守る側にも立ってみてもいいようにも思う。
見守っているうちに、余計な殻も消えていったりするのかも。


手始めに、ジブンのことを、見守ってみることにしよう。
ジブンを、そしてジブンをとりまく出来事や事実を、
ありのままに、ありのままに、見つめられるようになりたい。

と、いつも思ってきたけど、

もう一歩。
見つめるだけでなく、見守ってみよう。ただただ、見守ってみよう。


たったそれだけのことで、
ソワソワするときや、バクバクするときにも、落ち着いてくるような気がする。

ジブンをうまく見守ることが出来れば、
きっと大切な人を見守っていくことも出来るように思う。

そしてまた
大切な人を見守っていくことが出来れば、
きっとジブンをうまく見守っていくことも出来るように思う。

そう、だから、きっと、出来る。出来る。大丈夫。
わたしもあなたも、きっと大丈夫。

我慢強く。じっと。しずかに。期待はせず、でも信じて。見守ってゆける。

人は、見守り、見守られてゆく。

そんな世の中で、あってほしい。

2010年10月14日 風景 トラックバック:0 コメント:1

農業体験

10月8日(金)

曇天、雨の一日でした。

出荷7箱、鶏の餌混ぜ、水菜やターツァイの定植。淡々ぼちぼち作業day。


火曜から木曜の3日間、村の中学生の農業体験の受け入れをさせてもらいました。毎年恒例の年中行事。もう今年で3回目。はやいものです。

稲刈りや、夏野菜の片付け、ネギの草取り、などを手伝ってもらいました。午前中の出荷作業中はひとりで集中してすませたいので、最初に段取りだけ説明してあとは「よし、任せたぞ。よろしく!」という感じの毎日でした。いやはやちょっと申し訳なかったです。にもかかわらず、かなり一生懸命、丁寧に作業を進めてくれて、ありがたかったです。

ニンニクの植え付け中の一枚。左の白い粉は、カキ殻の粉です。カルシウムなどのミネラル補給です。

101006ニンニク

最後の日の午後は、畑で見つけたいろんな虫を顕微鏡で見てみる観察会となりました。孵化したばかりのケラ、アリのさなぎ、ネコブセンチュウの卵、などに感嘆の声の連続。なかなかステキな企画でした。自画自賛!

101008顕微鏡

中学生のみんなに深く感謝すべきこともひとつありました。朝の餌やりの時に、一羽のヒヨコが弱っていることに気がつきました。目を半分閉じて、うずくまっています。まともに歩くことも出来ませんでした。経験上、「うーん、大丈夫かな、こりゃこのまま衰弱して死ぬだろうなあ。」と思いました。きっちり100パーセントの割合でヒヨコが無事に大人になることは意外と大変なことです。何らかの理由で体調を崩してしまうもの、怪我をしてしまうものも中にはでてきます。

一応、たまに鶏舎に入り水はやっておきましたが、頭の中はほかの事でいっぱい。つい、忘れがちに…。慣れというものは残酷なものです。畜産として生きものを飼っていると、ペットと同じ感覚でつっききりに、というふうにはいきません。得に鶏の場合には、「群れ」で飼うので一羽一羽に対してはやはりそれなりの見方にどうしてもなってしまいます。この、「それなりの見方」になるかならないかの分かれ目は、名前をつけているかどうかにあるのではないか、と感じています。研修先で豚の世話をしているときも、名前がついている母豚と名前のない子豚(肉豚)とではやはりこちらの情の移り方が違いました。

で、何が感謝なのかというと…。お昼ごろに中学生のみんなに「弱っているヒヨコがいますよ」と改めて指摘されました。ふむふむそうきたか。「心優しい有機農家」という周りの期待通りに振舞いたい、欲深きカバシマとしては(笑)、重い腰を上げるしかないです。「まあ、だめもとで一応」ということで、ひと手間かけてダンボールで別邸を作り、水と保温電球をつけてあげておきました。

すると翌朝、ダンボール箱の中にヒヨコがいません!ん、ケモノにでも持っていかれたのか、と思いつつ群れを見渡してみました。なんと、弱っていたヒヨコが群れの中にもどりヒョコヒョコと歩いております。その瞬間、深く深く反省&感謝でした。

だめもとでもいいから、とりあえずきちんとやるべきことをやる。期待もせず落胆もせず、とにかく目の前のやるべきことをやる。出来る範囲で。そして生き物に対して誠実に向かい合う。そういう初心を、すっかり忘れていた自分に反省。そして、そのことを思い出すきっかけを与えてくれた中学生のひとことのありがたさ。自分ひとりで仕事のスタイルを作っていく中で、どうしてもひとりよがりな部分が出てきてしまうものです。ちょっと嬉しい出来事でした。





畑の横のちっちゃな川。

101006川

の水際に、カヤネズミの巣がありました。キュートです。カヤネズミは、日本では一番小さなネズミです。川原や茅場で巣を作り、草の種やバッタを食べて生きています。

101006カヤネズミ

101006カヤネズミ2



遊びに来た友達がぱぱっと作った一品。

101006バッタ

なんだか、ほっとします。いやはや、あっぱれ!

2010年10月08日 日々の暮らし トラックバック:0 コメント:0

そっぽレオさん

10月3日(日)

曇天、雨の一日でした。

畦草の刈払い、出荷事務仕事、読書、などなど。ほどよくのんびりでした。明日あたりで秋雨も終わりのようです。雨のせいで少し溜まってしまった畑作業をバンバン終わらせたいものです。

もう少しで農閑期。夏の間は目の前の農作業の段取りのことで頭がいっぱいになってしまうことが多いのですが、だんだんと今の時期はシフトチェンジ中です。まだ何かとやることは多いので、気を抜かないように押さえるところは押さえつつ、「冬にはあれもしてこれもしよう。あそこにも行こう」とイメージを膨らませてちょっとわくわくしています。

そんなわくわくの第一弾として、薪ストーブの薪集めの段取りを始めました。どのみち今から集めて薪割りをしてもあまり乾燥しないのでどうしようかな、と算段してます。たくさん持っている人から物々交換で分けてもらうか、杉板などでしのぐか、という感じです。来年の冬用に、今年のうちにしっかり集めておきたいものです。

そこで、先日…。

南向きの縁側の窓の脇の軒下を、薪を積んでおくスペースに決めました。が、雨どいがゆがんでいるためにそこは雨のたびに水が滴る場所。雨どい交換のためには、その周りの腐っている木材の補修から始めないといけないので「めんどくさいなあ」と二の足をふんでいました。

が、急にスイッチが入ってしまいました。秋雨の合間をぬっての突貫工事。なんで今やってるんだ?せめて雨の周期が終わってからでいいのに、と思いつつも、やりだしたらとまらず、投光器や車のライトをつけて夜10時くらいまで作業。そして、

101003雨どい

イマイチの仕上がり(笑)。水がしっかり流れるようにと思って勾配をつけたのですが、ちょっとやりすぎたかも。少なくとも南阿蘇村で一番勾配のある雨どいだと思われます。そして、ぷかぷかにういてしまっているトタンを固定するのに無理やりビス止めして、そこから水が入らないようにコーキングしたのですが、夜のやっつけ仕事で、見事に汚い。まいったまいった。

でも、ちゃんと水は流れてくれました。まあ、よしとしましょう。次は薪です。コンテナのある場所に、積まれる予定。まあ、一歩一歩だな。



昨晩、卒業した大学の学部の現役の学生数名がうちにきました。神奈川にあるキャンパスで、しかも全然農業と関係ないところです。でも、その学部の同世代の卒業者が、福岡、熊本、佐賀で僕を含めて6世帯、新規就農者として有機農業をしています。面白いものです。横のつながりも当然できてきます。学生達は、新規就農ということについてのリサーチで、九州北部を訪れ、その一環として家にも足を運んだ、というわけです。いつもはそういう集まりは、近所の就農&学部の先輩夫妻(オーツ家さん)でやることが多いのですが、昨晩はめずらしく我が家にて。就寝は午前2時半ごろ。ひさしぶりに夜更かししました。

で、何が言いたいかというと、

たいていの猫は子供が苦手です。昨晩も、オーツ家さんの子供達から逃げるのに気を使っていたレオさん。一昨日には、鶏の餌のカツオブシに悪さをして飼い主から怒られてしまったこともあり、どうも踏んだり蹴ったりモードの様子。今日も、なんだかご機嫌斜め。繊細なんだか、単純なんだかよくわからないところがまた人のココロをわしづかみにするのでしょうなあ。

そんなこんなで、

101003レオ

そっぽを向くレオさん。だんだん冬毛になってきて、ふっくらしてきました。意味もなくやたらと触りたくなってしまいます。こういう時には、それがまたいかんのだろうな。ペットもいろいろ大変。頑張れレオさん。


2010年10月03日 日々の暮らし トラックバック:0 コメント:0

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