ゲンノショウコ

9月26日(月)

めっきり秋めいてきました。
数日前、朝かなり冷え込んだ時には10度くらいにまで気温が下がりました。今日は、暑くも寒くもなく、程よい仕事日和の曇天。

堆肥まき、出荷用意、大根の播種、ねぎの土寄せ、などなど。いやー、よく動きました。程よい疲れ、眠気。これで、すっと眠れたら、それはささやかな幸せの代名詞のようなものなのかもしれませぬ。が、今日はこれから野菜セットに入れるお便りの原稿を書かねば…。眠い…。がんばろうっと。だったらブログなど書くな、というところではありますが、間があいていたので、これまた気になってしまいまして。まあ、しょうがない性です。うーん、眠い。というわけで、手短に。


玉ねぎの苗。まだ芽が出たばかり。2ヶ月後には植えなおし。さらに6ヶ月ちょっとたってようやく収穫。はじめの一歩。これからがんばっておくんなし。

110926たまねぎ

秋かぼちゃ。8月後半の長雨でだいぶ葉っぱが枯れました。でも、それなりに熟しかけている実がころころ目に付きます。もうちょっとで収穫かな。

110926かぼちゃ

ほうれん草。

110926れんそう

ゲンノショウコ。畑の脇の、堆肥置き場の傍らで咲き乱れています。

110926ゲンノショウコ2

茎や葉を煎じて飲むと、下痢がすぐに止まるのだとか。なので、現の証拠、という名前がついたそうです。本当かな。試すためにはまず下痢にならんとなあ。ちなみに、比較的、肥えた土を好むのだそうです。堆肥の近くで群生しているのが納得、です。


ちなみに。

今年は、秋野菜の出足が不調です。極端な晴れと長雨が続いたせいかなあ、と感じています。あと、苗の管理がいまいちだったせいもあります。例年ならそろそろ出せるかな、というレタスの生育がいまいち。大根の間引き菜や小松菜などもそろそろ、といいたいところなのですが、虫食いがあまりに多いです。

なので、今週か、来週いっぱい位までは出荷できるものが少なめです。
余裕があるもの、保存してあるもの、けっこう採れているもの
→ジャガイモ、玉ねぎ、ピーマン、四角豆、かぼちゃ、にんにく、

出始めのもの
→間引き人参葉、ニラ、サニーレタス、長ネギ、大根間引き菜、小松菜、

終わりかけのもの
→ナス、ツルムラサキ、ゴーヤ、インゲン、キューリ

あとは卵。といった感じです。こうやって書いてみると種類はありますが、どれも収量が少なく、ちょっとひやひやしながら箱詰めしてます。中身が充実してくるまで、もうしばらくお待ちくださいませ~。

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2011年09月26日 今週のお野菜 トラックバック:0 コメント:1

ミヤマフキバッタ

9月19日(月)

曇天の一日。

先日、「ああ、これでしばらく畑に入れない。作業が遅れる」と心配してしまいました。結局、雨は断続的に降り続いてはいるものの、それほどの量でもなく、ふったりやんだりといったところ。阿蘇の火山灰土の排水性のよさもあり、白菜やキャベツの植え付けもすすみました。

ふたを開けてみれば、いつもどおりに、杞憂ちゃんとなりました。何かと悪い想定ばかりしてしまい、思ったほどには何事も実際には悪くはならないといういつものパターン。おかげで、なんだかラッキーな気分。こういう思考の癖も、損なのか得なのか自分でもよくわかりませぬ。まあ、損も得もない、ということなのでしょうなあ。


さて。

さお吉再発見。「うう~、いい湯だあ~」という声が聞こえてきます。

110919さおきち

ミゾソバ。その名のとおり、水気のある(溝のような)ところに生えるソバ、の仲間です。

110919みぞそば

ミヤマフキバッタ、の仲間。深山蕗飛蝗。片足がもげています。オタカラコウの葉を黙々と食べ続けていました。

110919みやまふきばった

最初、翅の短さに、「バッタの幼虫かな」と…。調べていくうちに、どうもミヤマフキバッタの仲間の成虫のようだと(自分としては)判明。ミヤマフキバッタの仲間の翅は退化していて、ほとんど飛べないようです。飛べない=移動距離が短い→地域によって分類が細かく分かれる、のだそうです。なので、図鑑などでも、「細かな、正確な分類、同定は難しい」と書いてあります。

飛べたら、もっとうまく逃げることが出来るのだろうに、なんで、退化してしまったのかなあ。一本しかない後ろ足を見ていて、そう感じてしまいました。虫には、虫の事情があるのでしょう。人には、人の事情があるように。


と、ここまで、書いて、ほんとうにミヤマフキバッタの一種なのだろうか、という疑問も…。イナゴの仲間の幼虫?とも思わんでもないなあ。これまた、いつもどおり、どなたか、ご教示くださいまし。


うむ。困った時は、他力でいくことにしますっ(笑)

2011年09月19日 昆虫 トラックバック:0 コメント:1

雪男

9月16日(金)

雨の一日。台風の動きが気になります。

今日は、なんともいえないむずがゆい日でありました。

昨日、何をどう勘違いしたのか自分でもよくわからないのですが、仕事の組み立てを完全にミスしてしまいました。今日からしばらく雨の周期に入るので、その前に白菜やキャベツの苗の植え付けを終わらせてしまうチャンスのはずでした。が、「あと数日は本降りにいはならないで曇りのようだ」という思い込み…。

この降り方と、天気予報によれば、あと1週間は植え付けは無理でしょう。植え付け適期を過ぎて苗がポットの中でちじこまっています。はやく植えてしまいたい…。なんというかなあ、最近この手の思い込みミスが多いです。植えつけた後でパオパオ(保温の不織布)をかけておけばぎりぎり間に合うとは思いますが、なんともいえないもどかしい気分。しかも、恥ずかしながら昨日同様にタンクに水を汲んでいろいろ水遣りをしてしまいました。水遣りにかけた僕の3時間を返してくれ~。と、誰に訴えていいのか分かりません。叫んでみても、自分にボディーブローのように帰ってくるのみ。はあ~。情けない。自業自得。


というわけで、また雨が続きそうなので、来週はセットの中身がいまいちになりそうです。

保存してあるもの ジャガイモ、玉ねぎ 
いい感じのもの  ピーマン オクラ、ニラ、間引き人参葉、 
まあまあのもの  三尺ささげ、四角豆、ナス
少ないもの    つるむらさき、かぼちゃ、にんにく、インゲン、キューリ、ゴーヤ

あとは、卵。といった感じです。小松菜やサニーレタスを入れられるまであと10日くらいはかかりそうです。夏野菜さん、もうひと踏ん張りっ!



さて。だらだらと長くなりますが、一冊ご紹介。

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雪男は向こうからやって来た 角幡唯介 集英社

前作のデビュー作「空白の五マイル」で、開高健ノンフィクション賞、および大宅荘一ノンフィクション賞をかっさらった角幡氏の新作です。

ヒマラヤの山麓には、雪男とよばれる謎の生き物が生息していると言われています。霊長類の一種ではないかという説がありますが、その姿を鮮明に画像に収めた人はいません。ヒマラヤに登山に来たクライマー達や、地元の集落に住む人達の間では、たびたび目撃されています。ですが、その目撃談はどこか謎めいたものが伴い、科学的にも、いまだ実証できていません。

著者は、ふとしたきっかけから、「いったい本当に雪男はいるのだろうか」と半信半疑のまま雪男の捜索隊に参加することになります。捜索の旅の記録と、目撃者へのインタビュー、雪男に魅せられた人物達のヒューマンドラマ、歴史的考察などが、主観と客観の両方の視点をもって立体的に織り成されて物語はすすんでいきます。

今の時代に、何を…。雪男なんて、どうでもいいよ…。そもそも興味が全くわかない…。雪男という言葉を聞いて、多くの方はそういうネガティブな印象を受けるのだろうと思います。しかしながら、読み物として、実に面白いのです。気がつけば、雪男のイメージやヒマラヤの谷の光景、隊員の人となりまでもがページをめくるたびに鮮明に浮かぶようになっていくことでしょう。

雪男に魅せられた人達にとって、雪男は向こうからやってきたものであるようです。こちらが求めて出会うものではなく、向こうから。そう、向こうから、未知なる、何かが、やってくる、ということ。

それは、必ずしも雪男ではなく、他の何かでもいいのかもしれません。そこに足を踏み入れると危険なことは分かっているけど、どうしてもそうしたくなるような、何か。それらに魅せられてしまったときに、人は自分の人生をどのように歩んでいくのか。そのような何かがある人生とはどういうものなのか。

時代や国を思えば、憂うことばかり。我が暮らしを思えば、些事にふりまわされる毎日。そんな今だからこそ、たまにはいつもとちょっと違う視点から自分の立ち位置を見直してみたい。そういう時の、清涼剤みたいなものなのかもしれません。そう思える、一冊です。ぜひぜひ。

2011年09月16日 トラックバック:0 コメント:0

9・11

9月11日(日)

乾燥した秋晴れの一日でした。

一昨日、「明日は雨が降るぞ~。よっしゃ。チャンス」と思い、キャベツ白菜わさび菜定植、大根、カブ、ほうれん草、春菊、チンゲン菜、みぶな、二十日大根、の播種。

が、雨の予報は肩すかしに。

昨日は水遣りが大仕事でした。空気もけっこう乾燥しています。うーん、ひと雨ほしいところ。


今日は、9月11日。

あれから、10年。あれから、6ヶ月。

いろいろ課題だらけ。未来も、これまでの数十年と比べるとそんなに明るいものだとは思えません。



でも


にもかかわらず 前を向いていく とか

にもかかわらず やれることをしっかりやっていく とか

にもかかわらず ひとりひとりが役割をはたしていく とか


そういう気持ちでいられたらよいなあ、と思います。


何かとネガティブな思い込みばかりしてしまう
私やあなたが

にもかかわらず いい思い込みをしてみる

というのも、よいですね。

 



さて。

鶏の餌のカツヲブシでお世話になっている問屋さんに対して、
ちょっとした失礼をしてしまいました。

同じミスを2回してしまい、さすがに大反省。

お詫びのお電話では、「いいのよ、そんなの」とおっしゃってくださるのだ
ろうなあ、と思い。

それならば

えーい、失礼を承知で、お詫びファックスだっ!

と書き書き。




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こんなんでいいのだろうか!?というソワソワ。

にもかかわらず、どうせなら、

笑ってもらおう。普通じゃ面白くないや、というワクワク。




それにしても…、



かなり頭皮が目立ちますねえ(笑)
そして、果たしてファックスの白黒プリントでうまく伝わるのだろうか、
という心配も。は~、結局ソワソワばっかりやんか。

まっ、いっか。


2011年09月11日 ひとりごと トラックバック:0 コメント:0

エビガラスズメ

9月6日(火)

快晴の一日。早くも秋風を感じるさわやかな空でした。

出荷、人参の草取り、玉ねぎの播種。少し作業が遅れ気味なので、けっこうがんばりモードはいっております。


草取り済みの人参。奥はごぼう、サトイモ。

110906にんじん

草取りを待つ人参。ぱっと見、人参がどこにあるのか分かりません。はよ終わらせないとっ。

110906区さ

畑の道向かいの、牛。空気が澄んでいると、それだけで嬉しくなります。

110906牛

晩夏の夏野菜は、むわっと、しております。右からオクラ、モロヘイヤ、マルチの上に見えるのが空芯菜。

110906畑

空芯菜の葉の裏に見つけた、卵。

110906卵

直径1~2mm位。小さいです。温帯の自然の中では、青や水色という色は、案外少ないです。瑠璃色や、青紫、赤紫ならばぼちぼち目にしますが、この水色は、なかなかの珍しさだと思います。あっぱれです。

さてさて生みの親は何者だろう、蛾だろうなあ、と思って飼うことにしました。

が、

がんばって検索して調べてみました。空芯菜はサツマイモの仲間なので「サツマイモ 卵 水色」とか、いろいろ言葉を入れてみました。結果、エビガラスズメという蛾の卵であると(多分)判明。この卵は、そういえばナスにもついていました。そしてナスにも、エビガラちゃんの幼虫は確かにたまについています。「エビガラちゃんの食草はサツマイモ科と書いているけど、ナスを食べるのはなぜだろうか、まあそういうこともあるのだろう。そういうことにしておこう。」というわけで、納得。

正体がわかり、しかも、畑では見つけたときにはプチュッとつぶしているエビガラちゃんをわざわざ飼う気にもならぬので、やっぱり飼うのはやっぱりやめておきます。


それにしても、美しい卵…。



エビガラと 知れば潰すは 百姓の 哀しきさがぞ なむあみだぶつ


と、

ここまで書いた後、もう一度図鑑を見てみると、エビガラすずめの口はなんと10cmもあるとのこと。先日のオオスカシバのように、口を伸ばして蜜を吸うのです。それも、10cmの口で。見てみたい…。そう思うと、無下にプチュッとしてしまうのはやっぱりやめておこう、と思ってみたりもします。

うむ。今日もまたツレヅレダラダラ。考え出すと、とまらないのだなあ。

2011年09月06日 田畑 トラックバック:0 コメント:0

ダラダラツレヅレ考えてみる

9月4日(日)

台風は、こちらではたいしした被害もなく、ほどよい雨となりました。たくさん降った地域の方のご苦労を思えばさすがに申し訳なく、なんともいえない気持ちになります。しかしながら、こちらでは、畑もだいぶ乾いていたので、恵みの雨でした。

今日も、台風一過で晴れるかと思いきや、すっきりしない天気。畑の土もまだじゅっくり湿っていてあまり中に入らないほうがよさそうだったので、本当に久しぶりに街の映画館に行ってみました。ネイチャードキュメンタリーの「LIFE」を見ました。いやー、面白かったです。どうしたらこんな映像が写せるのか、と驚きでした。ただ、どうしてもこの手のナレーションだと説教臭くなってしまうということと、映画ポスターの「地球制覇」という字面に嫌悪感を覚えてしまったので、80点といったところ。惜しい…。まあ、椛島にどれだけの点数をつうけてもらおうともらうまいと、BBCや配給会社としては痛くも痒くもないのは確かではありますね。


さて。

先日、隣の婆ちゃんが亡くなりました。92歳でした。お通夜、お葬式と、バタバタと過ぎてゆきました。

阿蘇に移ってきた最初の年、婆ちゃんにはいつも助けてもらってばかりでした。もともと世話好きの婆ちゃんにとって、隣の家に一人で田舎に移り住んできて農業を始めた30歳の青年は、孫のように見えたのだろうと思います。

畑から帰ると、週に4日か5日位は、何かしらご飯やおかずが玄関においてありました。暑い夏には紫蘇ジュースを作ってくれました。正月に顔をみせると、ちゃんと僕の分のおせちやお雑煮が用意されてありました。甘い物好きの婆ちゃんの料理は、味付けも甘め。最初は、ん~、と思ったことも。でも、慣れてくると、やみつきになる美味しさでした。あのお煮しめの味がもう味わえないと思うと、寂しいです。

婆ちゃんは、とにかく元気でした。当時、婆ちゃんは熱帯魚用の水草を栽培して出荷していました。70歳を過ぎてからはじめたという仕事。90歳近くになるまで、現役として現金を稼いでいました。「昔はたいがい苦労した。今が一番幸せ。孫やひ孫に小遣いをやらにゃいかんもんだけん、かせがにゃいかんたい。はっはっはっ。」あの笑い声をもう聞くことができないかと思うと、切ないです。

最初に迎えた冬の終わりごろ、婆ちゃんは倒れました。めまいと吐き気を感じて、夜中に救急車で隣町の病院に運ばれました。必死でリハビリのおかげで、戻ってくることができました。でも、以前ほどには体が動かなくなりました。

体のあちこちが痛んだことでしょう。それでも、花を植えている畑の草を一生懸命抜いている姿がありました。ある朝、婆ちゃんと話をしていたら、こんな言葉が。「まあ、いのちにご縁があれば、もうちょっとは生きるたい。ご縁がなければ、それまで。こんだけ子供たちから面倒かけてもらっとるとだけん、もう一度くらいは元気な体にもどらんと申し訳なかたい。あと1年くらいは生きんとなあ。はっはっはっ。」思えば、あれは1年くらい前だったように思えます。生きるということと、死ぬということに対する謙虚な姿勢に、つくづく頭が下がる思いでした。あの笑顔をもう見られないかと思うと、やるせないです。

でもなあ、人は生まれてきたからには死ななくちゃいけません。こればっかしは、しょうがないです。

婆ちゃん、今まで、ありがとうございました。

婆ちゃんからしてもらったことは、直接的にはなかなかきちんとはお返しできなかったかもしれないけど、これから先、もしできることならば、婆ちゃんが僕にしてくれたように、どこかのだれかに何かをしてさしあげることにします。

そういうことが、回りまわって、お互いに助けられていく。それで、いいんじゃないかな。

霊魂の存在だとか、輪廻転生だとか、そういうことは実感としてはよく分からないのですが、なんとなく、否定できるものでもないし、婆ちゃんの霊魂がどこかで見守ってくれているのかな、と思うとちょっと心強くあります。非科学的だけど、人間の脳がそう認識して安心感を得られるのであれば、それは実在するに等しいのかもしれないし、それで現実の生活が豊かに色づくのであれば、それはそれでいいのかもしれないです。

少なくとも物質としては、死は終わりではなく、循環と再生の途上にしか過ぎないし、個体としての生は終わりだとしても、いのち(あるいは遺伝子?)は三十億年も脈々とつながり続けているのであり…。

なんてことも、ダラダラツレヅレと考えてみたり…。

とにかく、婆ちゃん、ありがとうございました。


人は、生まれて、食べて、寝て、いのちをつなぎ、死ぬ。それで、いいのだろう。難しく考えることは、ないのかもしれないなあ。




2011年09月03日 日々の暮らし トラックバック:0 コメント:0

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