根っこ

暖かな一日でした。

日中の最高気温は10度近くになり、春を感じさせる日差しでした。

にもかかわらず、「忙しいからどうしよう」と悩んだ末に近所の自然散策にでかけ、確定申告の書類を役所にもらいに行ったり・・・。そしてなぜだか郵便局の通帳が行方不明になり、さんざん家の中を探したものの見つからず、「こういうときはスピードが大事」ということで早速作り直しの申請にいって時間をとられたり・・・。

結果的には、すばらしい天気の一日だったのに、すすんだ農作業はほんのわずか。

自業自得とはいえ、悔しいような、情けないような、なんだか腑に落ちない気分でした。

が、夕方になんとか、先日まいた苗の移植作業を進められたので、まあいっか、という気分になりました。

箱にまいたレタスの苗。

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こみあってきました。こんな感じで移植します。

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このようなセルトレイに移し変えることで、定植(畑に植えること)しやすくなるし、根張りもよくなります。
ただ、手間がかかります。直接セルトレイにまいてもいいのですが、僕はこの方法がなんとなく好きです。
手は動かしながら、そして植物と対話しながらも、いつの間にか頭の中では抽象的なことを考えていたりする。そんな時間となるのが好きなようです。

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葉っぱよりも、根っこが大事だな、と感じさせてくれます。見えない部分の大切さ。

こいつは、何を考えて根っこを伸ばしているのか。

何も考えてはいないんだろうな。

ただ、真剣に、無心に、生きることだけを考えて、根っこを伸ばしているんだろうなあ。

何にも期待せずに、無心に、強く生きる。

こういう心を表現するのにぴったりと当てはまる日本語はないかと探してみると、なかなか見つかりません。

「待つ」という言葉がそれに近いのでしょうか。

ただ、淡々と、根を伸ばす。

「待つ」ことは、想像力をつけさせてくれます。

短絡的な思考ではなく、どっしりとかまえた大きな心をはぐくんでくれます。

今のせわしい現代社会、「待つ」という心をもつのはなかなか難しいものですね。

便利さとの代償で失ったものは大きいです。
いつから、「便利さ」や「効率」が幸せの尺度の大きな一部となってしまったのでしょうか。
「便利さ」や「効率」は、「待つ」力を奪ってしまうように感じます。
なんでも思い通りになる、というすさまじい思い違いを起こしてしまいます。

人間の思い通りにになんかならないのが自然です。
都市を作り、国土を造成しつづけ、思い通りになったようにも見えますが、やはりどこか違う。
計画をたてる人間の存在そのものが自然の一部ですから、この矛盾は受け入れるしかない。

と、ちょっと養老猛さんの受け売りです(笑)

つまり、「思い通りになんかならない」「でもやれることをやるしかない」

そういう当たり前のことが、「待つ」ことで培われていくのでは、と思うのです。

すぐに結果がみえないと、絶望してしまう若い人がなんと多いことか。悲しいことです。

でも、希望を胸に「待って」いきていきたいものです。ふてくされることなく。あきらめることなく。

ああまた長くなった(笑)

こんな感じで、くだらないことを考えながら農作業をするのが好きです。

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2008年02月20日 ひとりごと トラックバック:0 コメント:1

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椛島のブログを読んでると色々と考えさせられる事が多いわ。自分の考えをこうやって表現出来るってのはすごいね。

2008年03月08日 大庭 URL 編集












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