うーん、長い!

1月5日(月)


唐突ですが、本の紹介です。

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サバイバル登山家 服部文祥著 みすず書房

表紙の写真からしてすごいです。岩魚の皮を、歯を使ってはいでいます。ぎょろりと光る著者の目。

著者は、食料をほとんど持たずに、岩魚や山菜などを現地調達しながら、深い山を幾日も幾日も歩き続ける「サバイバル登山」を実践している服部文祥さんという方です。

テントも持たない、ヘッドランプも持たない、ラジオも持たない。日が暮れる前には川原でタープを張り、どんな豪雨の中でも火を起こす。そして、釣った岩魚や捕ったカエルをさばき、翌日の行動食のために燻製にする。またある時は想像を絶するような豪雪の北アルプス山中を駆け巡る。

そこに流れているのは、「自然とフェアに向かい合いたい。とてつもなく大きな自然という存在、事実のなかで、生きていこうとする自分の意思を感じたい」という強烈な思いです。

ひとり渓谷の中で、猛烈な台風の雨にさらされ、増水する水への恐怖を感じながら、服部さんは思うのです。「いま、俺と同じように、熊もじっとこの嵐をたえているんだろうなあ」と。

序文で、世界でも屈指のアルピニスト山野井泰史さんが書いています。
「この本を読むと、人間もあくまでも動物の一員であるというあたりまえの事実を思い知らされるにちがいない。」

文明社会の恩恵にどっぷりと浸かっている僕ですが、服部さんの思想に、強く同感し、憧れます。

昔は、生きていくこと自体が、自然と向かい合うことだったはずです。

人間以外の、あらゆる生きものが、自然の流れに従い、今を、そう、この今という瞬間を生きています。1分後にはツバメに食べられてしまうかもしれない芋虫も、ツバメに捕らえられる瞬間まで、無心に、何の不安も感じずに、ただただ生きています。

きっと、何百万年もの間、農耕を始める前は、ヒトも同じように、不安という概念を持たずに生きてきたのだろうと思います。来年は鮭が河をあがってこないかもしれない。再来年は阿蘇山が噴火するかもしれない。明日は森で傷を負い、破傷風になるかも知れない・・。

考え出せばきりがないような、そんな不安はあまり持たなかったのでしょう。たとえそうなったとしても、だってそれは、「しょうがない」から「あきらめる」しかないことだったのでしょう。せめて、ヒトができることは、祈ること、だったのだろうと思います。

1万年前に、ヒトは農耕をはじめ、それと同時に、「不安」という概念も発達していったのではないか、と感じます。最初は「餓え」という不安が大きかったのでしょう。そこから、蓄財が生まれ、所有が生まれ、奴隷制度が生まれ、戦争が生まれ・・・。
そして文明が発達していったすえに生まれた「貧乏」や「借金」や「病気」という不安。さらに、「孤独」や「世間体」や「老後」という不安。

不安が、とらわれをうみます。心にとらわれが生じた状態では、ヒトは、本来の生を生きることができません。たとえ80年生きたとしても、とらわれの無い本当の生でいうと何年になるのかは、その人でないとわかりません。

とはいっても、不安は裏から眺めてみれば希望や夢の裏返しでもあります。生きるエネルギーともなります。「自分探し」や「生きる意味」という命題は、その最たるものなのでしょう。ほんの少し前にはそんな命題はごくごく一部の特権的な人だけにあたえられるものだったのに、日本をはじめとする「先進国」にはそれが普遍化しているようです。
確かに、「自分探し」も「夢を追いかけること」も、すばらしいことです。ただ、世の中を見渡して見たときに、現状は幸せな社会なのかな、という疑問は生じます。

ポイントは、どういう夢をもつのか、ということにあるのだと感じます。

夢が、物質的な豊かさに傾倒してしまうとしたらどうなるのでしょう。答えは明瞭です。今の環境問題がそうなのだと思います。資源には限りがあります。一部の、限られた人にしか夢はかなえられない、ということになってしまいます。
自然エネルギーで電力は賄えたとしても、食糧生産には限界があります。食糧生産には太陽エネルギーと大気と、土と、水が必要です。淡水資源に限りがあるというこは、すなわち食糧生産にも限界があるということです。主食のとうもろこしを食べることが出来ない人がいる中で、霜降り肉1キロを生産するために牛に食べさせるトウモロコシは10キロ。数字が、現実を冷徹に語っています。

そもそも、森や草原を拓いて農地にすること自体が、豊かで複雑な生態系を破壊して単純な生態系にする、ということです。他の生きものの住む環境を奪ってしか支えられない60億というホモ・サピエンスは、なかなか罪深い存在です。そういう意味では、他の生きものと共生しうる、「里」や「有機農業」という世界は、未来へのヒントになります。農繁期でちょっと苦しい時、自分へのエールとなりうる概念です(笑)

よくいわれるたとえがあります。資源という観点でみれば、地球というパイの大きさはもうすでに決まっている。人口が増えたので、パイを大きくして、ひとりひとりの食べる量を増やす、というのが経済発展という思想です。でも、パイは大きくならないのです。単純に分配の問題なのです。環境問題は、極端に言えばに人道の問題だと思います。

夢が「競争に勝つ、という結果」に傾倒してしまうとしたら、どうなるのでしょう。これもまた応えは明らかです。勝利の女神はごく一部の人にしか微笑みません。結果ではなく、過程が大切。一生懸命にとりくむことそのものに意味があるものです。誰しもが理解していることですが、経済という大きな波の中では、忘れてしまうことも多いみたいです。

それに、人は努力の有無とは無関係に、運に左右されることが多いものです。どんなにすばらしい人格をもって、努力を重ねていても、不治の病にもかかれば、事故にもあいます。生まれつきで、心や体に障害をもつ場合もあります。努力して結果を得る、という「達成感」は、幸せの一部ではありますが、全てではないことは自明なことです。だからといって刹那主義やニヒリズムに走るのではなく、やっぱりどんな状況であれ、未来を夢見ながら今を生きるという姿そのものが美しいのでしょうね。いや、もっと大げさに言えば、生命体としてただ存在している、生きている、というだけで、本来は美しいことなのだとも思います。

はたまた、思い描く夢が、とても叶いそうも無いものだったとしたら、どうなるでしょう。もちろん、苦しむだけです。今の時代の、「自分探し」という呪縛の本質はそこにあるのかなあ、と感じます。
きっと、天職も理想のパートナーも、理想の土地もマンションも、そんなものは最初からただ思い描いても浮かんでくるはずがないものです。

イチローのような本当にすごくい人は別として、われわれ凡人にとっての、「夢」とはこんな感じものなのではないかと思います。
頑張れば実現可能で、ちょっと高いくらいの目の前のハードルを勇気を出して越えてみたら、また目の前のハードルが見えてきて、また「怖いけどなんとなく面白そう。ハードルの先が見てみたい。」と頑張っての越えてみる・・・。時にはこけながらも、また目の前のハードルを跳んでみる、その繰り返し・・・。そして、結果的に、振り返ってみて初めて感じる思い。「ああ自分の天職はこれだった」「このかみさんとであえて、この家族と過ごせてよかった」「ここで生きてきてよかった」

そんなごくごく当たり前のことを、当たり前にやれて、「いい人生だ。幸せだ。」と感じている方はたくさんいます。なんだかんだで豊かな日本なら、なおさらです。

でも、みんながみんなそう感じられているわけではありません。特に、今の僕と同世代の20代半ばから30台くらいの人たち、いわゆる「ロストジェネレーション」の人たちの中には、「そうだ、そうだ」と感じてしまう人も少なくはないと思います。不安の中で生きている人も多いのではないでしょうか。

生まれた時は日本経済の絶頂期。そして、「個性を出しなさい。あきらめなければ夢は必ず叶う」と教育されてきた世代です。自分探しに夢中になり、能力と環境に恵まれ、努力をした人は確かに力強く、豊かな、個性的な、楽しい人生を力強く歩んでいます。IT起業の黎明期でもありました。
しかし、ちょっとしたボタンの掛け違いから、等身大の夢を見つけることが出来なかった人にとっては、ちょっと酷な時代となっているようです。さあ就職するぞ、という時期には想像もしなかった不況と超就職氷河期でした。
「世界をまたにかける」とリュック一つで世界中を旅していた若者も、いつのまにか年をとります。「俺には絶対に表現の才能がある。演劇で食べていくんだ」と夢を追っていた青年も、髪の毛が薄くなる年になります。気がつけば「自由な働き方ができます」という宣伝のままにフリーターへとなり、派遣労働者へとなり・・・。そして今回の経済危機。現実はシビアなものです。

若い頃の苦労は買ってでもしろ、と昔の人はよくいったものです。本当にその通りだと思います。初めがきつかったら、あとはどう転んでも楽に感じられます。その逆は、やっぱりきつく感じます。
冬の野菜も一緒です。まだ暑い9月に種をまいた菜っ葉は、11月の霜で葉っぱが解けてしまいます。でも、霜が降り始める直前に種をまき、小さな頃から霜にあたっている菜っ葉は、少々の霜にもそ知らぬ顔ですくすく育ちます。まあ、いったん霜でやられた菜っ葉も、芯さえ凍らずに残っていれば、また芽をだし、葉をひろげますが。それはそれで、とてもおいしい味となります。

さて、今の学生は、「安定」した就職を求めているそうです。いい考えだと思います。しかし、みんなが安定ばかりを求める社会は、絶対に活力を失います。ちょっと危惧する点です。身の丈にあった、程よい大きさの夢、程よい競争、ほどよい冒険、ほどよい遊び心、ほどよい安心感。そしてほどよい諦めのココロ。そんな社会はどうやって作っていったらいいのでしょうかね。どなたか教えてください(笑)



またいつものようにごちゃごちゃと考え、書いてしまいました。でも、こういうふうに考えてしまうヒトという存在もまた、動物の一員です。頭では言語を駆使して物事を抽象化していようとも、遺伝子的にはほとんど猿と99パーセント以上同じ、ですよね、確か(笑)。自分探しもいい加減馬鹿らしくなり、普通の人なら流れに身を任せて、暖かい家庭が欲しい、とか、子孫でも残そうか、という本能が勝ります。まあそれでいいや、とつくづく思います。

38億年前に、最初の細菌が地球に現れ、植物が生まれ、動物が生まれ、そして人間が誕生し、今に至ります。生物学のことはよく分かりませんが、遺伝子は、分化しながらずーっと今を生きるみんなにつながっているのだろうと思います。

そして、僕の体を作っている原子も、やがて土や大気中に戻り、他の生物の体に取り込まれていくのでしょう。僕は無宗教ですが、般若心経でいう「色即是空、空即是色」で教えられていることを、なんとなく肌で感じます。
また、誰かが言っていました。「いのちが私を生きる」と。いのちという大きなものが、私という存在の中で、生きている、という意味なのかな。これまた、なんとなくですが、実感してしまいます。

山や海にどっぷり浸かったり、自然と対峙しながらも包み込まれるような生業の中で、ヒトは自ずからそんな感情を頂いていくものなのでしょうね。

いのちを大切に、という言葉がよく聞こえてきます。ひとりの人間の命は、地球より重い、ともよく言われます。そうだなあとも思うし、本当にそうなのかなとも感じます。
いのちというものが、個人に属するものだと考えると、それが「地球より重い」と言われても、どうなんだろうなあ、という印象をうけます。でもいのちというものが、なんというか、ひとつのつながりだという認識を持てば、言葉の意味がすっと胸に入ってきます。


そこでまた思い浮かぶimagineの歌詞・・・。拙訳にて。

Imagine there's no Heaven
It's easy if you try
No Hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today...

Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one

Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will live as one


想像してみてよ、簡単なことだよ。 
天国なんてないし、足の下にも地獄なんてない。
上には、空があるだけ。
想像してみてよ。
みんなが、ただ今日を生きているのさ。

想像してみてよ、難しくは無いさ。
国も無いのさ。
何かのために死んだり殺したりする
ようなものなんて、何も無いよ。
宗教だってそうさ。想像してみてよ。
みんなが、平和に生きているのさ。

僕は夢を見ているっていわれるかもね。
でも、僕だけじゃないはず。
いつの日か君も仲間になるよね
そして世界が一つになるのさ

想像してみてよ、何にも所有しないのさ。
君だったらできるよ
餓えたり、貪欲になることも無い。
人はみな兄弟なんだよ
想像してみてよ 
みんなが世界を分かち合ってるのさ。

僕は夢をみているっていわれるかもね。
でも、僕だけじゃないはず。
いつの日か君も仲間になるよね
そして世界がひとつになるのさ。



よくよく歌詞をみてみると、突っ込みどころ満載の理想主義的なものですね(笑)でも、これだけ人々に愛されるこの歌は、やっぱり愛されるだけの力を持っているのでしょう。
いつの時代にも戦火は絶えません。歌が響きますように。


おっと、本の紹介だった。なんという脱線!(笑)

そんなわけで、とても面白い本です。山に登る方はぜひ一読を。登らない方も一読を。まあ、かなり売れているみたいなので、もう読んだぞー、という方も多いかとは思いますが。

服部さんとは一度お会いしたことがあるんだけど、絶対僕のことは覚えていらっしゃらないだろうなあ(笑)

100年に一度の経済危機だそうです。
でも、ヒトは、何百万年もちゃんと生きてきました。

こんなご時世だからこそ、ココロを軽くするために、読みたい一冊です。そして、軽くなったココロで、目の前の現実のほろ苦い生活と向かい合い(笑)、具体的な小さな仕事を、コツコツとやっていきたいものですね。

うーん、ひさしぶりにむちゃくちゃ長かったぁ。
思わず一気に書いてしまいました。

こんなに文字ばかりで長いと、まず僕だったら読みません(笑)
それにしても、(笑)、ばっかりだなあ(笑)
ご一読ありがとうございました。

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2009年01月05日 トラックバック:0 コメント:3

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そうだよね、そうだなぁとかばちゃんのHPを見て思います。
便利になるために生まれたはずの携帯電話も、そのせいで逆に忙しくなったり、あくせくしなきゃならなくなってる気がするよ。シンプルな生活は自分にも、自然にもやさしい(ecoにつながる)と思うし、私の理想ではあるのだけど、やっぱなかなか捨てられない・・
でも少しずつ削ぎ落としていきたいな★


2009年01月07日 たま虫。 URL 編集

たま虫さんへ

そんなたまちゃんにお勧めな本があります。

「ラダック 懐かしい未来」 ヘレナ・ノーバーグ・ホッジ著

検索してみてください。
札幌の図書館だったらあると思います。

2009年01月08日 たま虫さんへ←KB@南阿蘇 URL 編集

ありがとう!さがしてみるよ★

2009年01月14日 たま虫。 URL 編集












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