雨雨雨!

2月27日(金)

それにしても、雨続き・・・。

ほとんど、梅雨のような雰囲気です。

やれやれ、です。


でも、

レオさんの風邪もだいぶん治りかけてきたし、不慣れな確定申告もなんとか無事終わらせることができて、一安心です。

さらに、ひとつちょっとした決心。
家から一番遠い畑を、地主さんにお返しすることにしました。車で5分ほどの畑です。忙しい時期は、この5分、がしんどいものです。上下2枚あります。ともに痩せています。上の一枚は、軽トラも入らないので、堆肥をまくのも苦労します。下の一枚は、日当たりがとにかく悪いです。そして、畦がすごくすごく高いです。

住む場所が見つかり、その際に、家の近くで自由に使える畑がなかったときに、とりあえずお借りしたものなのです。丸2年たち、家の近くで必要な面積の畑を借りられました。
地主さんは「あそこは痩せとるし、日もあたらんけん、無理せんでよかけん。あなたのうちの近くで畑があるなら、そこば耕しなっせ。」と常々いってくださってました。自分達が長年苦労をされたので、そのあたりの事情を察してくださるのでしょう。

なので、なおさら「はい、そうですか、ではお返しします」とは、言いにくかったのです。地主さんは、ご高齢です。土地を荒さないために老体にむちをうって、トラクターをかけたり畦草を刈ったりする姿を想像して、「申し訳ないなあ」と思ってしまい、ずるずると結論を延ばしてしまっていました。

でも、長い目で見ると、それもよくないなあ、と思って、決めました。
これで、管理しなくてはならない畑の面積がかなり少なくなりました。手が回る広さ、となりました。気持ちがすごく楽になりました。

とにかく、「無理はしない」。そして、「いい人ぶらない」(笑)ということなのかなあ。

「いい人」をやめて、ある程度自分のエゴを通すことは、すごく大切なことだなあ、と思います。適度なエゴを通すと、結果的にいい顔をしてきます。人は、いい顔をしている人と接したがるものです。シアワセは、伝播するものなのでしょう。

何かを決める時には、考えつくすということも大事ですが、まあ、どうにでもなれ、どうにかなるさ、どっちでもいいや、嫌われてもいいや、というカラッとしたココロを持つことがもっと重要なのでしょうね。

そのためには、やっぱり、何かにとらわれたり、損得だけにとらわれたりしてはいけないですね。できるだけ、カラッポのココロを持ちたいものです。


さて、やや脱線。

世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない。

と、宮沢賢治はいいました。同感です。

でも、その逆もまた真実だと思います。これもまた、バランス、中庸ですね。

あくまでも、理想のなかの理想を言えば、ですが・・・、

世界全体のことを、自分のこととしてとらえたり、
自分のことを、世界全体のこととしてとらえたり、
はたまた、
人類のことを、生態系や地球や宇宙のことしてとらえたり、
宇宙や地球、生態系のことを、人類のこととしてとらえると、

「世界全体」も「個人」も、「地球」も、すべて、「We」ということになり、宮沢賢治の残した言葉のなかに、一切の論理的あるいは感情的な矛盾がなくなる、といえます。

なんというか、「千の風になって」とか、「般若心経」の世界ですなあ。

少し前に、話題になったこの本。

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「生きて死ぬ智慧」 文・柳澤佳子 画・堀文子 小学館 \1200

生物学者、柳澤佳子さんが、長年の闘病生活の体験と、科学者としての英知をもってして、般若心経の現代語訳をされています。あとがきの中で、柳澤さんはこう書いています。

 私たちは、自己と他者、自分と他のものという二元的な考え方に深入りしていきます。元来、自分と対象物という見方をするところに執着が生まれ、欲の原因になります。自分の周りには色々なものがあり、いろいろな人がいます。
 ところが一元的にみたらどうでしょう。(中略)私たちは原子からできています。原子は動き回っているために、この物質の世界が成り立っているのです。この宇宙を原子のレベルで見てみましょう。私のいるところは少し原子の原子の密度が濃いかもしれません。あなたのいるところも高いでしょう(中略)これが宇宙を一元的に見たときの景色です。(中略)
 あなたもありません。私もありません。けれどもそれはそこに存在するのです。物も原子のの濃淡でしかありませんから、それにとらわれることもありません。


なるほどなあ、という感じで目からうろこですねぇ。でもなあ、こういう達観はなかなかできないものです。霞をたべていければいいのだろうけど、そうもいかんしなあ(笑)。

でも、こういうものの見方や感性は、こんな時代だからこそ、見直して大事にしていってもいいんじゃないかなあ、と思います。ココロのなかには、たくさん引き出しがあったほうがいいです。「困った時には、よし、この引き出しをあけるかな。ココロをカラッポにするかな」ということが、主体的にできれば素敵ですねえ。


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2009年02月27日 ひとりごと トラックバック:0 コメント:5

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fいつもステキな日記をありがとう。

そうか~カラッとしたココロかぁ~。
今の私にイチバン足りないものだなぁ。

どうにでもなれ、どうにかなる、どっちでもいいや

投げやりに聞こえるけれど、決して投げやりじゃない。すごいね、かばやん。私も頑張るよ~。

PS:ニワトリは、暖かくなってきたせいか、卵を生み出しました。にわかに、卵洪水となっております。。。

2009年03月01日 佐奈枝 URL 編集

非常に心に残る文章でした。

僕はいまだモラトリアムの真っ只中で、アメリカ留学など始めてしまったが(ごめん連絡が遅れ。。なので野菜もしばらくお願いできず。。)、以下本当に素晴らしい文章だと思います。

「でも、長い目で見ると、それもよくないなあ、と思って、決めました。
これで、管理しなくてはならない畑の面積がかなり少なくなりました。手が回る広さ、となりました。気持ちがすごく楽になりました。とにかく、「無理はしない」。そして、「いい人ぶらない」(笑)ということなのかなあ。」


「自分には何が出来るか」ではなく、「自分には何が出来ないか」、「自分は生活していく中で何に我慢できないか」という自らの枠やスタイルを考える心の動きにとても強く惹かれました。

なので来年帰国したら遊びにいきます。よろしくね。西南戦争絡みの史跡も訪ねたく。

強く刺激を受けました。ありがとう。

2009年03月01日 米倉 URL 編集

佐奈江ちゃん、米倉へ

コメントありがとう。

大体、こういう場では、自分のいいところしか書かないものです(笑)むしろ、ココロがカラッとできてないときや、何かの決心がついていないときに、自分を励ましたり、背中を押したりするつもりで、きれいなことを書いてしまうことが多いなあ。

悲観や自責の感情をもつこともしばしば。でも、とにかくなにがなんでも毎日やれることを淡淡とやろう、とは思ってます。そんな時に、暖かい励ましやお礼の言葉を頂くと、本当に、すごく嬉しいです。

ありがとう。

さなえちゃんへ。産み出してよかったね。お肉の話、同感。食べるということは、命をいただくということ。言葉ではなく、体で理解できたらなあ、と思います。

よねへ。
みのり多い時間を過ごせるといいな。迷いながらも、考えながらも、とにかく前へ、ということが大事なんだろうね。よねも同じなんだな、と思うと、俺もがんばろ、と思います。体に気をつけて。来阿蘇、気長にまってるよ。
今、はせが隣室で眠ってます。昼間、スギ花粉と戦いながら激しく溝掘りしてくれて疲れたのでしょう。さっき、古澤から電話あり。なんだか今日はアウサな日のようで(笑)。

2009年03月01日 佐奈枝ちゃん、よねへ←KB@南阿蘇 URL 編集

かばさんおひさしぶり!
実はちょいちょいブログ拝見させてもらってます(笑)

ボクもこの本持ってる!目から鱗だったの覚えてる。でも忘れてた(笑)思い出す良いきっかけになりました、有り難う。

2009年03月12日 tommy URL 編集

tommyへ

おお、元気かい?調子はどう?
いろいろ大変なことが多いでしょうが、楽しいこともあるよね。きっと。
成長の日々を、楽しめるといいね!
お互い、ぼちぼち頑張っていこう。ちなみに、例の話、だめでした(笑)

2009年03月12日 tommyへ←KB@南阿蘇 URL 編集












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