そんなおっさんの詩~哀しいニュースを聞いて

12月25日(金)

曇天の一日。ちょっと生暖かい感じの小雨もぱらつきました。


さてさて、今日は・・・。

午前中。出荷、配達。

昼。友人からブリが届く。でかっ!

午後。明日からの来客に備えて、家の中を片付け。ボロボロになった寝室の壁と天井をはがし、断熱の発泡スチロール、石膏ボード、と打ちつけ。

夕方。隣のばあちゃんに「お茶のみ来い」といわれ、行く。部屋をさっさと仕上げたいという欲望にいったん蓋をする。ばあちゃんの話をゆっくり聞くのも久しぶりだなあ、ご無沙汰してたなあ、と思い、しばし「隣の婆ちゃん孝行」に勤しむ(笑)

夜。施工続行。クローゼットもどきの衣類掛け&棚を作成。客間(にしようとしている部屋)に散らかっていた椛島衣類を寝室に運び込み、すっきり収納。ああ、片付けってシアワセ。苦手なものほど、ちゃんとシステムから作ってそれなりに仕上げられた時には嬉しいもの。ご満悦モード。友人からの差し入れのおでんを食べて、近所の温泉にいく。

そんな感じの一日でした。本当に、あっという間に時間が流れてゆきます。




さて、ちょっと気になるニュース。

12年連続で、国内の自殺者が3万人を超えたとのこと。うーん、なかなかすごい事態です。


なんの根拠もない、勝手な数字をはじいてみます。

実際に亡くなる方で、3万人。未遂の方で、その5倍から10倍、間をとって約22万人。未遂までは行かなくとも、本気で死のうかどうか考えるという方で、そのまた10倍。となると、220万人。思春期未満は数えないとしたら、約50人にひとり、という数字です。

そして、それが10年重なると、2200万人。5人にひとりの方は一度くらい「この10年で一度くらい、自らいのちを絶とうかどうか本気で考えたことがある」という表現ができます。

うーん、ちょっと多すぎる数字かなあ。半分にしてみたら、10人にひとり。まあ、このくらいならあたってるかもしれません。とにかく、そのくらい自殺は身近な問題だと思います。

実際、僕の周りでも、少なくありません。


僕自身は「死のうかなあ」と本気の本気で考えたことは一度もありません。でも、なにかと考え込んでしまう青春時代を送ってしまったので(笑)、「こんな性格をしていたら、こんなものの考え方をしていたら、今は死のう、と思っていなくても、いつか必ず、『死ぬ』ぞ、きっと、このままじゃ」と思ったことはあります。

なんとなく感じていながらもごまかしていた気持ちが、あるとき確かな言葉となってそういう風に自分の中から溢れてきたときに、逆に「開き直って生きる力」をもらったような気がします。

誰にでも、というわけではないでしょうが、多くの方が、同じような経験はあるのではないのでしょうか。ん、そうでもないかな?(笑)。



さて、本当に死ぬほどきつい状況の時には、あらゆる理屈が通じないものだと思います。その苦しみは、僕には分かりません。絶望なんて、時間がたてば「ああ、そう思い込んでただけだったなあ。危なかったなあ」と思う場合がほとんどなのに、絶望の最中にはなかなかそういう風に自己を客観視できないものです。

いろいろな原因があり、人は『自殺』にとらわれてしまうのでしょう。原因はなんであれ、最後の最後のところで


「うわっ、今おれ自殺したいわ~」

ということが笑って言える世の中ならば、自殺者の数は1割くらいになっているかもしれません。


みんなが、それぞれ自分の弱い部分をさらけだして笑い飛ばせるようになれば、自殺の少ない国になるんでしょうね。予算をたててどんな対策を打つよりも、自殺の痛みを知った人が各々「自虐ネタ」を磨いて、弱さをさらけ出していけば、それが一番の自殺防止対策になるような気がします。

ひとり亡くなれば、その周りの少なくとも10人くらいの方は深いショックを受けます。年間3万人×10人で、年間30万人です。毎年新たに30万人の方が「このココロの痛みを味わう人が新たに出ないように、俺が自虐ネタを磨くのだ~。しっかり生きてやるぞ~。」と開き直っていければ、楽しい社会になりそうです。それが10年も経てば、そう、300万人の自虐ネタ!素敵じゃないですか。持続的な経済成長がなくても、少々病気をもっていても、楽しく生きられそうです。

まあ、でもなかなか実践は難しいですよね。相手との距離が近い場合には特にいろいろ期待もしてしまうものですし(反省!)。そしてやっぱり世間は怖いし、人の目は気になります。まあ、出来る範囲でちょっとずつだなあ。


さて、生きものは、自分の意思で生まれてくる訳ではないです。と僕は思っています。たまたま、地球上の原子が組み合わさり、「遺伝子といういのち」が流れる場として、「私といういのち」が在るのだと感じています。いのちは僕のものではあるけど、僕のものではないです。

だから、自分で死ぬのは、基本的には良くないと思います。生きることは、権利ではなく、義務だと思うのです。義務だと思えば、人生に過剰な期待をすることもないです。ちょっといいことがあれば、嬉しく感じます。いいことがなくても、気にせずにいられます。多分(笑)。

また、義務とはいえども、あんまりきつい場合には、そして本人がココロから「ああ、今までいろいろあったけどよく生きてきた。耐えてきた。もう満足」と思えるのなら、それを止める権利は周りの人にはないのかも知れません。これもまたよくわかりませんけど。なんとなくそう思います。

とにかく、やっぱりこういう問題はデリケートなものだし、よく分かりません。ちゃんと固まってもいない自分の意見を、人様にさらけ出すことにはちょっぴり気が引けます。でもねえ、それもふくめて、ありのまま、こういう事を考えているんだよ、俺は、という「投げっぱなし」のコミュニケーションも悪くはないものです。

僕の投げたボールに、応えてくれる人だけ応えていただければ、僕はもうそれだけで満足です。放り投げた甲斐があるというものです。万人に受ける必要はありません。みんなから好かれる必要もありません。すみませんねえ、こんな僕でよければお付き合いください。というスタンスで生きていければ、まあ自殺するのもあほらしくなりますねえ(笑)。




そう、僕は、そんなおっさんになりたい。

人からなんと言われようと、ほめられようと、
気にもせず、怒りもせず、喜びもせず、

目の前の、自分のできること、
自分にもさせてもらえることを、
自分のやるべきことを
目の前のことを

いっぱいいっぱいになりながらも、
てんぱりながらも、

うわ~、焦るなあ~、もう訳分からん~、
なんで俺はいつもこうなんだ~、

と言いながらも、

それでも、

淡々と、淡々と、

毎日こつこつこなしていく。


ただもう、それだけ。


そしてそのことによって、

時として誰かに迷惑をかけるかもしれない。

でも、逆に、

喜ぶ人もいる。
元気になる人もいる。

あっ、もうちょい生きてみようかな、

と思う人がいる。



ただもう、それだけの、

そんなおっさんになりたい。





はい、そんなわけで、明日もぼちぼち淡々いっぱいいっぱい頑張りますわ。よし、今日もよく生きた。満足。感謝!いつも自意識過剰でごめんなさい(笑)



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2009年12月26日 ひとりごと トラックバック:0 コメント:0

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