ばか尾根

2月12日(金)

昨日までの異様な暖かさはおさまり、また少し寒さがもどった一日でした。

今日も、ココロねたでひっぱります(笑)

先週ものすごく頑張って畑作業をすすめておいたおかげで、今週は長雨にもあたふたすることなく、いい感じです。それでも、「ゆたっと」することに罪悪感を感じてしまう哀しい性です・・。困ったものです。何か、先手先手で済ましておける仕事はないか、常に仕事のことが頭から離れません。

まあ、これが長所でもあり、そのおかげで暮らしがそれなりに成り立っているというわけです。農業経営という点では、まあとりあえず今の段階では及第点だと思っております。これはこれで、十分に自分をほめてよい点だとは感じています。

でも、同時に短所でもあり、のんびりとできずに、常に「もっともっと」と、自分にいろいろ高いハードルを課してしまい、それが出来ない自分を歯がゆくおもったりするわけです。暮らしの豊かさ、という点では、なんだかこれじゃあいまひとつだと自省してしまいます。と、自省している時点で、「もっと楽しまなくちゃだめだろ」と自責モードに入っている証拠です。自責は不安を呼び込みます。

「もっともっと」という気持ちは、向上心でもあり、欲望だともいえます。紙一重のように思えます。できれば、向上心も欲望も持たずに、ただ行動すればよいのだと思います。自然と。それが出来る状態を、人はシアワセと呼ぶのだと思います。なかなか難しいことです。

いい状態だなあ、と感じることもあれば、そうでもないな、と思うときもあるもの。そんな波はどうしてもあるし、そういう波自体を、まるでサーフィンのごとく、楽しんでいければかっこいいですね。

結局、人は、誰でも完璧な存在ではありません。きっと、プロ野球人としては完璧な存在であるイチローだって、別の角度からみたら厄介なお兄ちゃんなのかも知れません。ましてや、この自分が、へなちょこなのは当然のこと。

人間は馬鹿なものだし、俺もお馬鹿さんだよなあ、ということを懐かしい気持ちで感じられれば、ステキです。


出荷仕事を終え、キャベツの種をまき終わったお昼前に、ふと思いつきました。それにしても俺はお馬鹿さんだなあ。なんでなんでもかんでもいろいろと考えすぎてしまうんだろう。頭のなかに、いつも言葉が渦巻いているんだろう。あ~、いやになってくる。でもまあ、馬鹿は馬鹿でしょうがない。どうせ馬鹿なんだから、そうだな、馬鹿尾根でも登ってくるかな、そうだな、なんだか語呂もいいし、

という無理やりな思いつきで(笑)、


仙酔尾根(通称ばか尾根)から、阿蘇高岳に登ってきました。いやー、前ふり長かった。すんません!



根子岳がちょっぴり雪をかぶっていました。

100212ねこだけ

北尾根をバックに仙酔尾根。「さあ、頂上まで直登、傾斜きついよ、延々とのぼりが続くよ、標高差あるよ、でも頂上まで最短距離よ。がんがん登ってよ」と言わんばかりに道をつけたれた尾根を、通称馬鹿尾根と呼びます。阿蘇では、この仙酔尾根が、ばか尾根と呼ばれているようです。丹沢のばか尾根、甲斐駒の黒戸尾根、剣の早月尾根。日本は、愛すべきばか尾根でいっぱいです。ばか尾根という響きが、僕は大好きです。ばか正直のばか、と同じように、ぬくもりのある言葉だと思います。

100212仙酔峡

単調な尾根です。でも登りこむと、味わい深いのだと思います。食べ物に例えると、するめのような尾根かな。

100212ばか尾根

登り始めが午後3時。ここのところ暖かかったとはいえ、稜線は、やっぱりまだまだ冬でした。

100212もよう

さむっ。高岳頂上は1592m。肥後の国(ひごのくに)、と覚えます(笑)。

100212高岳頂上

火口のある中岳へ向かいました。反対側に回らなければ、中のエメラルドグリーンの湯だまりは見えません。でも、そちら側は常に人がいっぱいで、観光地然としています。それはそれでよいとは思うし、僕もよく来客の折にはお連れします。でも、こちら側(北側)から見る火口は静かで、荘厳な雰囲気でした。

100212河口

ロープウェイ横の道を下って降りました。春先の観光シーズンになると、北側もやっぱり賑やかになるようです。

100212ロープウェイ

仙酔峡は、ミヤマキリシマというつつじがきれいに咲き乱れるという場所として有名です。火山の影響で、他の樹木が育たないような過酷な地でも、ミヤマキリシマは生存できます。結果的に、ミヤマキリシマの群生ができます。そして、花の咲く時期には、それはもう見事にきれいなのだそうです。

友人の話によると、きれいに花が咲くように、行政の方が「手入れ」をすることがあるそうです。殺虫剤をまいたりすることもあるそうです。

ミヤマキリシマが群生してきれいな花を咲かせるのは、「自然」です。人の手がどうこうということではなく、結果として、あらゆることが、ありのままに存在して、花が咲き乱れるのです。

「今年は見事に咲いたね」「去年はいまいちだったね」というまなざしを忘れないようにしたいものです。
「今年もたくさん咲かすぞ」ということは、畑やフラワーパークで行えばいいのではないか、と感じてしまいます。

でも、批判する資格は、おそらく僕にはないのでしょう。僕の存じ上げない方々が、観光地としての阿蘇の魅力を高めるためにされている努力を、とやかく言える立場にはありません。僕の農業経営も、「阿蘇」というブランドにずいぶん助けられているなあ、とよく感じております。いろんなご縁が複雑に影響しあっているはずです。

いろんなことが、ほどほど、でありますように。白か黒か、イチかゼロか、ではなく、ものごとをありのままにみることができるようになりますように。いつも、そう感じております。


いやはや、また長くなった。困ったもんです(笑)




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2010年02月12日 風景 トラックバック:0 コメント:0

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