デジカメ来た

5月12日(水)

快晴、五月晴れの一日でした。

出荷6箱+ご近所のペンションさんへ卵の配達。
春先までとちがい、日の出も早く、気温も高いです。セットに入れる野菜の収穫、箱詰めも早朝から始めて、午前中のうちに終わらせる、という流れの時期になりました。今日は、朝5時にスタート。農繁期っぽい動きになってきました。

あとは、トマトの畝立て、支柱立て、ミニトマト定植。エンドウ豆の紐張り。出荷予定の段取りでお客さんへの連絡。などなど。


デジカメが届きました。やった~。



なんだかいまいちの写りですが・・・。

森のみどりのみならず、田畑のみどりの美しさにも優しさを覚える季節です。

10_0512 015畑縮小


隣のおじいちゃんの稲の苗。

10_0512 004苗縮小


家の前の田んぼにも水が張られました。

10_0512 005自宅前縮小

乾いた田んぼや畑は、いわば草原のようなものです。そして、水が張られた田んぼは、湿原となります。水は、いのちの源。生きものの楽園。これだけの面積の湿原がある島。僕らは実はすごいところに住んでいるのですね。


すっかり復調レオさん。

10_0512 018レオさん人参縮小


昼間の、目が細いレオさんは、ちょっと眼光鋭く、ヤンキーさん風です。手前の葉っぱは人参です。



さて、久しぶりにココロ系、支離滅裂、書きなぐりです。


ちょっとしたことから、ここ数日へこみモードでした。久しぶりに波がきたなあ、という感じでガマンスイッチonです。まあ、こういう性格なので、しょうがないですね。

思春期のころから、何かと多感でした。小心者すぎてあんまり「怒」はないけど、「喜哀楽」は何かしらあり、心の中は忙しかったです。でも外面上はそうは見えないように普通に振舞えてしまい、そのギャップがまた疲れるわけです(笑)。

本に書いてある「(躁)うつになりそうなものの考え方・性格」を見て、見事にドンピシャだぁ、とわが身を振り返り思ったものです。でも、それをなんとか、経験や、理性や、体力や、マゾ的体育会系精神(笑)を用いて、なだめすかし、受け入れ、今ではかなり「淡々ぼちぼち」に行動できる人になりました。そしていつのまにか「ほどほど」「バランス」とか「とりあえずやってみる」「やりながら考えればいいやろ」という言葉が自然と口からでるようになっていました。

山、農、そして生きもの達に接する中で培われたものに救われたのでしょうね。それに人との出会いにも。ありがたいことです。結果として、自分が変わったというよりも、何かに抑圧されていた「もうひとつの素」がようやく顔を出してこれたのだな、と思います。めでたしめでたしです。

それに、本当にいい状態の自分というのも確かにいて、いい意味で「喜怒哀楽」があまりない、たおやかな気持ちでいられる日もあります。「無我」とか「空」と呼びたくなるような状態。自分と他者との区別がない感覚。比較のない世界。幸せな感覚。そしてそんな時には、「夢」も「やりたいこと」も「やれること」「やらなくちゃいけないこと」もひとつになります。

でもそこまでいい気分でいられるのは、たまに、です。当たり前の話だけど。毎日そんなふうだったら、もう仙人の域です。それじゃあつまんないしね。普段は、まあ「ほどほど」です。ほどほどが一番ですもんね。

でももちろん、時にはがくっとへこみます。大体原因はいい年して色恋沙汰関係ですなあ(爆笑)。普段は余裕な態度ですまし顔をしているくせに、急にだめだめスイッチが入ってしまうことがあります。まいったなあ~。なんというか、そのへんに関してのみ、自分のココロの奥底にあるへんちくりんな「しこり」が取れてないな、と感じてしまうのです。それが具体的には何であるのか、自分でもよくわかりません。

アダルトチルドレン的な何かが顔を出してきて僕をコミュニケーション不全な人にしてしまうことがあるというわけです。こまったもんだ。誰かどうにかしてください、といった感じです。お手上げっす(笑)。まあ、人のココロはよくわからんし、自分のココロもよくわからんです。わからんから面白いのだけどね。

そんなことこんな場で書いてどうすんだよっ、という突っ込みをいただきそうですね。でもなんというか、止まらん。しょうがない。開き直りです(笑)。

というわけで、気分がいまいちの時には、詩が胸に響きます。泣けてきますわ。仙人は、この詩では泣けんやろう。愚かであることって、なかなかいいもんですね。夫婦関係のことは未経験だからよくわからんけど、それよりも、人間関係全般で、こういうふうにありたいです。そう、ずっこけてなんぼですたい!昔、盟友Aちゃんが僕に贈ってくれた言葉が身にしみます。「かばさん、馬鹿になれ!」あの時はありがとうね。Aちゃん。あなたもしっかり生きるんだよ!




「祝婚歌」 吉野弘


二人が  睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは 長持ちしないことだと
気付いているほうがいい

完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい

二人のうちどちらかが  ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい

互いに非難することになっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで  疑わしくなるほうがいい

正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい

立派でありたいとか  正しくありたいとか
無理な緊張には  色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい

健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい

そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい



ついでにもうひとつ。


「生命は」 吉野弘

生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい

花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする

生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分
他者の総和

しかし 互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄

ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

花が咲いている
すぐ近くまで虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている

私も  あるとき
誰かのための虻だったろう

あなたも  あるとき
私のための風だったかもしれない



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2010年05月12日 ことば トラックバック:0 コメント:2

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山屋の独り言の小林です。

http://www.youtube.com/watch?v=WirYaCJUYAQ

これ聞いて見て。

もう知ってるかもしれないけど、ちょっといい歌。
この病気になって、よく「自分はどんな少年時代をすごしてきたのだろうか?」と考えてしまっています。
本当はそんなことどうでもいいんだけどね。
でも子供の頃の自分くらいは、せめて良いやつだと思ってあげたいな、、、なんてね。

2010年05月13日 小林です。 URL 編集

小林君、ありがとう。いい歌だね。やさしい心を、ありがとう。
先日、訪阿蘇前のあきひこさんから写メールもらって、楽しそうに飲んでる姿拝見。一歩一歩、いければいいね。お互いぼちぼちでいきましょう!

2010年05月14日 小林君へ←椛島農園 URL 編集












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