アンダンテ

9月2日(木)

今日も暑い一日でした。でも、最高気温は30度どまり。ありがたや~。

ジャガイモ掘りをいいかげん終わらせたくて、ご近所農家仲間Kさんに助っ人に来てもらい、ばんばん作業が進みました。これまた遅れに遅れていた春カボチャ後の片付け、畦草刈り、堆肥撒きなども進みました。これでなんとか作業の遅れを取り戻したかな、という感じです。

以前火事を起こしそうになってしまった畦草燃やしも、

100902畦もやし

コツを掴んできたようです。自己評価が低い傾向のある自分としては、なにかと「あんまり成長してなあ」といつも感じるのですが、ちょっとしたことで「あれ、意外と上手意なっとるみたいだな」と、感じられるのは嬉しいものです。

100902畦

黄昏時に、「いやー、よく動いた。よく頑張った」と、満足モード。思わず写真。

100902上畑2100902上畑

でもずれてました(笑)。



さて。

先日、旭爪(ひのつめ)あかねさんの「稲の旋律」を読みました。

稲の旋律

旭爪さんは、異色の経歴をお持ちの作家さんです。大学卒業後、会社勤めを経て、9年間引きこもりの生活を体験。その体験をもとに作家活動に入り、社会派の小説を世に送り出しておられます。

稲の旋律は、旭爪さんの代表作です。大雑把なあらすじは、こんな感じです。

主人公の千華は30歳の女性。子供のときからずっと「いい子」だった彼女は、親の期待に応えるべくピアノの勉強を続けていた。ところがふとしたことから大学に行けなくなり、バイトなどもうまく続かない状態になってしまう。社会との接点を失いかけていたが、30歳を前にしてようやく親のつてで就職する。しかしその会社もすぐに辞めてしまい、そのままずるずると引きこもり状態に入ってしまう。昼夜も逆転した生活となっていたある日…。

親に背中を押され、勤めていた会社にお詫びの挨拶に向かうことになった。だが会社のある駅で降りることができなかった。そのまま電車に揺られ続け、いつしか田園風景へとたどり着く。そこで、ゆれる稲穂を見て、心の奥の中かが揺さぶられた千華は、とあることを思いつき行動に移す。

今の自分苦しい気持ちをつづるSOSの手紙を書き、ペットボトルの中にいれる。そして、それを美しい田んぼのなかに「置いた」のだ。

しばらく後に、田んぼで手紙を見つけた百姓の晋平から、千華のもとに手紙が届く。ゆったりとした手紙のやりとりの中で、晋平は千華の抱える苦しさと、その原因となる家族との関係や、競争社会そのものの問題を考えるようになる。千華は、晋平の言葉から、自然と向かい合って生きることの潔さと、現代の「農業」が抱えている問題を学ぶようになる。

いつしか、千華は晋平のもとを訪れるようになり、農作業を手伝ったり仲間と触れ合ったりしていく中で、人としての力強さを少しずつ取り戻していく。

あとは、まあ、お決まりの恋物語か!?という感じではありますが、それは読んでみてのお楽しみ、ということにしておきますね。



旭爪さんは、この話を書くために、いろいろなことを相当に勉強されたのだな、と感じました。まさしく晋平さんの志している農業を実際にやっている自分としては、よく描写してらっしゃるなあ、と感心してしまいました。「いやいや、実際はもっとこうだよ」とか「そんなことやってちゃだめだよ」とか「ちょっと青くさい表現だなあ」などなど、突っ込みを入れたくなる箇所もありましたが、それを差し引いても、読みやすくて引き込まれる文章でした。

そして、何より千華の抱える心の問題も、ご自身の体験抜きには絶対に表現できないような繊細なものでした。読んでいて、痛々しく感じるほどに。読み込んでいくにつれて、感情移入している自分がいました。

映画化もされています。

アンダンテ

自主上映か、あるいはそれに近いような単館上映で、全国あちこちで上映されているようです。熊本市近郊ではまだなので、楽しみです。いつになるかわからないけど。

映画では、「アンダンテ ~稲の旋律~」というタイトルです。アンダンテ、とは音楽用語で「歩くような早さで」という意味だそうです。実にいいタイトルです。アンダンテ。いいなあ。


晋平の農業のような「場」。それは、千華のような人にとって、必要な「場」です。みんながみんなアンダンテでいってたら、今の社会は成り立たなくなってしまいます。完全に昔の暮らしに戻ることは、おそらく不可能です。でも、アンダンテでいきたいんだ、という人がリラックスして生きられる場が今の世の中にはあまりになさ過ぎるように思えます。怖いことに、それが国という単位ではなく、全世界の潮流として襲ってきているようです。経済成長という名の「信仰」が世界中の人々を包み込んでしまいそうに思えます。

でもそこに必要なスピードは、もはや「生きもの」としての人が耐えうるものでは無くなってきているのではないでしょうか。俺は「人材」ではなく、「人」だ。と、どれだけの人が声にならない声をあげているのでしょうか。

晋平の志す農業は、非効率な農業です。手間がかかります。有機とか、無農薬、循環型農業、と言葉でいうのは簡単だけど、それで生計を立てるとなると、また別の話です。でも、晋平のように、今の時代には「敢えて」そこに身をおく人がいます。「もっと自然のリズムの中で暮らしたい。」「田舎で子育てがしたい」でも、「田舎には仕事がない。」「じゃあ、農業だ。自給自足だ。」という考えが自然に頭に浮かぶというわけです。。実際、僕もそうですが、周りを見渡してみると、同じような考えをお持ちの方がとても多いなあ、と実感してしまいます。

はい、ここで、大きなジレンマです。

普通の農業で、勤め感覚のお休みと稼ぎを得ようと思ったら、なかなかアンダンテではいきません。少なくとも農繁期はてんてこまいの慌しさです。他に稼げる手段があれば、アンダンテでいけるのかもしれませが、大多数の人はそうではないようです。このジレンマをどう受け入れ、乗り越え、なだめすかし、開き直って、でもふてくされず、折り合いをつけて、笑いに包んでいくか。

まあ、やり方は人それぞれのようです。初期投資などで親を巻き込む。お金の代わりに精神世界を充実させる。とにかく「今」を生きる。とにかくとにかく働く。人がやらないことをやる。経営感覚を研ぎ澄ます。自給自足を徹底させる。カリスマ農家になって研修生さんの手を借りる。安定した職業のパートナーを得る。などなど。

あんまり真面目に考えてもどうしようもないので、やめておきます。まあ、みんなどうにかなっているし、それでいいのでしょう。さてさて、僕はどんな方向に転がっていくのかなあ。一歩引いてみると、わりと面白いシチュエーションのように感じます。大事なことは、まずはリラックスして流れにのるということなんでしょうね。といいつつも、リラックスか~、これがまた苦手なんだよなあ~(笑)


とにかくひとつだけいえることは、あまり多くを望まない、しなやかなココロさえ持てれば、「農」の在る暮らしはやっぱり素敵です。食べ物がある。ボーナスはないし、生きもの相手なのでサラリーマン的な「きちっとした休み」はほとんどないです。でも見方をかえればクビになって路上に放り出されることもないし、忙しくない時期には「やることは無限にあるけど、毎日が日曜日のようなココロモチ」ともいえます。何よりも、食べ物がある。それだけで、まあいいじゃないの、何を欲張っているの、といつも感じていられたらステキです。


僕が、農の世界はいいなあ、と思った大きな理由のひとつを、「稲の旋律」は思い出させてくれました。旅で訪れた農場や、研修でお世話になった農場で過ごした場の記憶が蘇ってきました。忙しさや「農業経営」のなかで忘れていた「農」の営みの豊かさを、肌が覚えていたようです。

皆で囲む食卓。
何気ない日常のトラブル。
生きやすい人はもちろん、生きにくい人がもっている「素」の優しさや美しさ。


農という舞台の上で輝くそんなことを、また見たい。感じたい。と、思いました。うーん、かっこつけすぎ!?(笑)


とはいえ、それはそれでとりあえず脇において、ちゃっちゃと仕事すすめんとね。今日のふんばりでだいぶん先が見えてきたことだしね。日もずいぶん短くなってきました。農繁期も、なんやかんやで7回表くらいにはきているようです。ホークスで言えば攝津です。馬原まであと少し。でも馬原がまたひやひやさせるからなあ。そこが面白いといえば面白いんだけどね。あっ、ご存じない方にはスンマセン(笑)。

とにかくまあ、そんなこんなで久しぶりに長くなりました。書くことで頭すっきりさせてるなあ、俺。忙しいといいつつもけっこう暇なのかな!?まっ、いっか~。アンダンテでいこうっと。少なくとも気持ちはね。



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2010年09月02日 トラックバック:0 コメント:2

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この人のラジオ聴いたよー。ラジオビタミンに出てたね、しばらく前に。結構長く話してたなあ。

KBちゃんのブログを読んで、ちょっと観たくなりました。

2010年09月05日 Koji URL 編集

どもども。元気かな。そうなんよ、俺もラジビタで知ったんよ。でも、最後の数分間しか聞けなかったんよ。再放送やんないかな~。こういう方が活躍する話を聞くと、なかなかジンセイ捨てたもんじゃないなあ、と嬉しくなりますなあ。

2010年09月07日 kojiへ←椛島農園 URL 編集












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