年越しいのちの村

12月26日(日)

今日もまた、雪がちらつく寒い一日でした。

今日の朝日新聞の朝刊の記事で気になったことがあったので、一筆。まただらだら長いです。はぁ~、悪癖だ。いや、そればかりか、長文大好きというのは、ある意味では暇人ということの証ですな(笑)


さて。


「孤族の国 第一部 男たち」という特集記事がありました。真鍋弘樹さんという記者さんの署名記事でした。考えさせられました。何ヶ月も誰にも気づかれることなく、アパートの一室で迎える死。路上や車の中で、誰にも見取られることなく迎える死。そのような孤独死が、今の日本では急速に増えてきているそうです。

それは、今この国で起きている大きなうねりの一端が現れてきているものだ、とありました。高齢化、少子化、単身世帯の増加、未婚率の増加…。20年後の日本では、50~60代の男性の4人に1人が1人暮らしになり、50歳男性で3人に1人は未婚者に。という統計もあるのだそうです。

氏は論じます。会社という「擬似家族」の文化は半ば崩壊し、地域共同体はおろか、家庭の中でのひとりひとりも孤立しているという現状が目に付く世の中…。でもそれは、血縁や地縁というものにしばられず、伸びやかに個が発揮される社会を戦後の日本人が選び取ってきた結果の姿だといえるのではないか、昔に戻ることは難しいのではないか。問題は、現状では「個人を単位とする社会」にひたすら向かっているにもかかわらず、政策も人々の意識もまだ「昭和」や「高度成長期」にとどまていることにあるのでは、と。

文章はこう結ばれていました。
高齢社会化が一段と進む2020年。単身化がより深く広がる2030年。日本社会がかつて経験したことのない20年が目の前に続いている。残された時間は、決して長くはない。



うーん、重い記事でした。

田舎暮らしブームや、農業ブームにのって田舎に移住した僕としては、いろいろ感じてしまうものがあります。ほどよい田舎の当地で暮らしていると、記事がどこか遠い国の出来事のように感じられます。

周りを見渡しても、3世代同居や子供3人がごく普通の地域です。ちょっとしたベビーブームです。「まあ、なんとかなるだろ」という感覚でたくさん子供を産める環境は、本当に素敵です。消防団や野焼き作業は時には大変ですが、そのおかげで孤独死はおそらく起こりえない地域です。知らない人が道を歩いていると「あの人は誰だ」という目は受け取るでしょうが、それは地域の防犯力の裏返しとも言えます。

でも、そういう田舎の「わずらわしさ」がいやになり、そして「仕事」を求めて、僕の親の世代が作り上げてきた日本が、今の日本の都市社会です。

残念ながら、今の社会や経済の枠組みは、もうガタガタになり、機能不全に陥ってきているのは明らかです。どう考えたってお金がないのに、「あれもこれもやってほしい。頼みますよ、政府さん」と、予算計上のお願い合戦です。

「まあ、無いものは無いんだから仕方が無いね。我慢するか」とはならないようです。何かあれば、「国のせい」「学校のせい」となります。「まあ、運が悪かったね。仕方ない。まあ、でもこれだって長い目でみれば損か得か分からないしね。ぼちぼちいこうか」ということにはなかなかなりません。

いったい、この先世の中はどうなっていくのでしょうか。一歩引いた目線で眺めておかないと、やってられません。一歩引いた目線を持つことが出来れば、

まあ、わりと楽しい時代なのかもしれません。文明開化の混乱期、戦後の復興期、のような時代が、いよいよガタガタになって底をうったあとにやってくるのかも、と思うとちょっと楽しみです。

そういう時代には、いちばん大事なものがクリアに見えてくるのかもしれません。水。空気。土。森。それらが生み出してくれる、食べ物。そして、家族。隣人。

こんなこと言っていると「身内がよければ自分がよければあとはどうでもよいのか」という声も聞こえてきそうですね。うーん、難しい…。でも、どんなに世の中をよくしたいと思っていても、まずはそういうわが身の足元がおろそかなっていては何も始まらないのでは、とも感じている今日この頃…。

でもなあ。そんなでいいのか。お前はラッキーなだけじゃないか。そういって田舎暮らしはいい、とかなんとかいっているけど、みんながみんなそこにたどり着けるわけではないし、偏ったものの見方をしてるんじゃないか。とも感じてしまいます。こんなんじゃだめなのかなあ。これでいいのかなあ。重い記事を読んだあとには、うーん、なんだかよくわからなくなります。


でもでも。最後に。


同じく「ひと」の欄で、尾角光美さんという同志社大学の学生さんの活動が紹介されていました。

父親が会社経営に失敗して失踪、母親が自殺、という体験をばねにして、自死遺児らを支援する団体「リブオン」を主催しておられる方です。大晦日や元旦は、自殺を考える人や居場所の無い人にとっては孤立感を深く感じる一時のようです。暮れから元旦にかけて、きつい思いを抱えている人のために「年越しいのちの村」という集いを大阪市の應典院というお寺で開くそうです。

ご自身が苦しいときに寄り添ってくれた友人や知人の存在が大きかったそうです。「私のもらった温かい経験を社会に還元しよう」という思いが企画の出発点だったとか。

こういう話、なんだか、ジンときます。カバシマ的つぼです。

毎日新聞でも紹介されていました。記事はこちら

あと、應典院さんのHP。こういうお寺もあるんですねえ。なんだか、楽しそう。こういうのも好きかも。


まあ、自分の立ち居地をふまえつつ、やれる範囲で、やれることをやっていければいいなあ。とりあえず、そういうことでよしとしましょ。という気持ちの、再確認。それだけでも、今は、十分なのかもね。



寒い日の、ちょっとこころ温まる新聞記事。なかなか、いいものですね。こういう記事に出会った時にはいつも嬉しくなります。「よっしゃ、月に3000円の購読料、元はとってるぞ~」と思いながら、切り抜きをちょきちょき。ここちよい、得した気分のひと時です。

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2010年12月26日 ひとりごと トラックバック:0 コメント:0

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