内観の感想

2月1日(火)

祝!

冬将軍さま撤退!

ようやく、寒さが緩み始めました。この1月は、本当に、厳しかったです。ほっと一息。あ~、うれしい。


昨日、今日と、出荷作業。そろそろ温床の踏み込みやら、畑の片付けやトラクターがけをしていかないとまずいのだけど、マラソンやら内観で時間を使ってしまい(笑)、なかなか進みません。あれもこれもやりたいというのは自分の性なので、こりゃもう、しょうがない。好きでそうしているのですしね。自分で納得ができる、愚痴のでてこないタイプの忙しさは、幸せのひとつの形なのかも、などと思ったりもしています。


寒波の影響で、野菜の種類をそろえるのが難しいので、

110131大根

いろいろ工夫してやりくりしております。写真は、上部を切り落とした大根。鍬でめい一杯土寄せし、その上から不織布をかけていましたが、やはり上部は凍ってお手上げ状態でした。「いけるかなあ」と思って畑でかじってみたら、思わぬ誤算。びっくりの美味でした。というわけで下半分だけ出荷させてもらってます。



さて。内観について。

先日ご紹介したものと重複するところがありますが、改めて。

お世話になったのは、佐賀駅近くにある、多布施内観研修所というところでした。

1週間、朝5時から9時まで、ほとんどこの屏風の中で座っていました。

110127内観

与えられる課題は、きわめてシンプル。

自分が、誰かに対して①していただいたこと②お返ししたこと③ご迷惑やお世話になったこと をひたすら見つめていきます。はじめは母親、次に父親、兄弟、配偶者、子、祖父母、恩師、友達、同僚、はたまた不仲な誰か、というふうに好きなように見ていきます。内観では、それを「調べる」という表現を用います。大体1時間半おきぐらいに面接の先生が来て下さいます。

そっと部屋の引き戸を空ける音がきこえてきます。それまで楽な姿勢で座布団の上に座っていたのを改めて、さっと正座をします。屏風の向こうから聞こえる静かな声。「お邪魔いたします」。屏風が静かに開かれ、合掌、お辞儀。そして先生の一言「この時間、どたたにたいするいつの自分をお調べくださいましたか」で、面接の時間が始まります。

「はい、この時間、小学校低学年の頃の、母に対する自分を調べました。」「お世話になったことには、こういうことがありました」「それに対してお返ししたことは何々で」「ご迷惑をおかけしたことにはこういうことがありました」と答えていきます。基本的には、先生は、時々「ん」と、相槌をうつくらいで、何もおっしゃいません。

最後に「次は、小学校高学年の頃の、母に対する自分を調べます」「よろしくおねがいいたします。」お辞儀。屏風が閉じ、部屋の引き戸が閉まる音。といった感じで面接が進んでいくわけです。そして、3度の食事は屏風の前まで運んでくださります。精進料理なのかな、と勝手にイメージしていたら、お肉やお魚もふんだんに使われた一般的な家庭料理でした。しかも、とにかくおいしかったです。お風呂も毎日、夕方にいただきました。これまた、とてもきれいで温かいお風呂で、我が家の極寒風呂とは大違いでした。

あとは、食事のときに毎回、内観に関する放送が流れます。他の方が面接をしている場面や、内観学会の講演の話、医療の現場で内観を用いている医師のお話、などなど。最初は、うーん、なんだか押し付けがまししい感じがしていやだな、と思ってしまいました。でも、次第に、「お、面白い」と感じるようになってきました。あとあと考えると、そういう放送を通じて、自分の内観を客観視して内観の具体的な手法・技術を学ぶのだな、とありがたく思えてきました。

基本的には、上記のとおり。もう、ただ、それだけです。でも、これを続けていると、不思議な現象が自分の中に起こるのです。

しだいに、気づいていきます。「あれ、僕は、母親や父親に、とてつもなくいろんなことをしてもらっておいて、何にもお返しをしてないなあ」「そういえば、あれは当たり前のことだと思っていたけど、気づかないところでものすごい心配をかけえいたのではないか」ということに。

時間がたつにつれてそういう感情は深化してゆきます。「ああ、申し訳なかった」「自分は本当にどうしようもないやつだ」「情けない、恥ずかしい、ああ…」という感じになります。そして、言葉に出来ない感情がどろどろと湧き出して、気がついたら涙が溢れていました。

不思議なものです。泣くと、すっきりします。「ああ、こんな自分でも、生きている、生かされている、みんなが温かく見守っててくださる。ああ、だったら、しっかり生きよう。やれることを、しっかり、毎日やっていこう。過去は過去。今を、しっかり、生きるのだ」と、恐ろしくさっぱりすっきりした気持ちになります。

そんな折に、先生から「では次の時間、親から育ててもらった際の養育費について計算してみてください」と言われます。ふむふむ、と思いながら、試算してみると、みるみる膨れ上がる数字に愕然としてきます。そしてまた深まる反省と感謝。

親に対して、そういう気持ちになることができれば、あとはスムーズにいくようです。不仲な方に対して内観をしてみる場合にも、「自分の視点」ではなく「他者の視点」で自分をみることにより、相手の方をしっかりと受け止めることが出来るようになるようです。

僕の場合は、なくなった兄と仲がよくなかったのですが、今回の内観を通して、やはり大きな気付きをいただきました。いままで自分が「された」と思っていたことも、兄の視点から見てみると、そうしたくなる何らかの理由を僕が持っていた、ということに過ぎなかったのだな、と分かり、涙涙でした。

そして、そういう「自己嫌悪→すっきり」を繰り返しているうちに、もうひとつの課題を与えられます。自分がしてきた「嘘と盗み」について調べていくのです。これは、自分との真剣勝負です。法的な意味でのうそや盗みではなくても、心の中のやましい思いであったり、へんちくりんな優越感であったり、はたまたごまかしがあれば、それは嘘と盗みにも、なるというわけです。でも、それを裁くのは、他の誰でもなく、自分しかいません。

そうして、濃い時間を繰り返しているうちに、次第にシンプルなことがまたひとつクリアになっていきます。自分という人間が、いかに、自分をよく見せようとしたり、人より上に立とうとしたり、他の誰かのことを親身になって思いやったりしてこなかったか。そしてその根源にある、「我欲」の恐ろしさ、醜さ。

別に、内観だけではないと思います。座禅にしろ、瞑想にしろ、あるいは他のどんな思想にしろ、宗教にしろ、形而上学的要素をもつ何かがめざすべき「善なる世界観」は、同じようなところに行き着くと思うのです。

それは、自我がもととなり、いろんなことにとらわれてしまっている精神状態から抜け出して、他者や他のいきものたち、そして地球や宇宙とのつながりを感じられる世界なのではないかな、と感じています。仏教でいえばそれはおそらく「空」という哲学であり、アニミズムの世界ともいえるし、ジョンレノンの言葉を借りればラブ&ピース、となるわけです。

最近はやりのスピリチュアルなものにはほとんど興味がない僕ではありますが、結果的にはだいぶスピリチュアルおやじと化しています。困ったものです(笑)。でも、僕のつぼは、スピリチュアルな何かではなく、ものの認識というものにある、と以前から思っていたのですが、今回それがよりクリアになりました。

内観で調べていくのは、具体的な事実のみです。母があの時、ああいうことを「してくれた」という、事実です。世の中には親子関係がねじれて修復できない、という方がたくさんいらっしゃいます。その場合、子は親に対して「してくれなかった」ことばかりに目が行ってしまいます。そして、一度そういうめがねをかけてしまうと、そのめがねを通してしか、母のことを見られなくなります。

これは、不幸なことです。内観で重要なのは、母がどういう性格だったとか、何をしてくれなかったとか、そういうことはとりあえず脇に置いて見ないようにして、してくれたこと、お返ししたこと、心配かけたこと、だけをみるのです。

こうともいえます。『多くの「客観的事実」というピースがある。その中から、これからの人生をよりよく生きるために必要なピースだけを選び出し、並べてみる。そのような単純な「作業」を通して、物事をありのままに正しく見ることができるようになる。あくまでも、その作業の結果として、人生にたいする肯定的な感情が沸き起こる。出来事や事実そのものが直接的に感情を揺さぶるのではない。感情を作るのは、事実を都合のいいように解釈している自分の思考の癖や、欲である。そのことに心の底から気付くことが大事である。』

もともとは、創始者の吉本伊信さんという方が、浄土真宗のなかの一派の修行法「見調べ」を通してひとつの精神世界の深みにたどりついたことから始まったのだそうです。その時の気持ちを吉本さんはこうおっしゃっています。「世界中の誰もが天国に行き、自分だけが地獄に落ちるような人間だと気付いたと時に、それでも生かされていることに、転げまわってしまうほどに嬉しくなった」。なるほど、悪人正機説の流れを感じます。

そして、その喜びを誰にでも味わってほしくて、宗教色を取り除き、自身は行っていた「のまず食わず、眠らず」といった内観の手法もなくしていきました。次第にお弟子さんが集まるようになり、全国各地に内観研修所が出来ました。当時の内観法は、ひとつの「求道」としての顔色が濃かったようです。今は、もっと裾野がひろがり、カウンセリングの手法としての「内観慮法」がどちらかといえば主流になってきていると言えるのかもしれません。それはいいことなのでしょうが、ちょっと寂しいような気もしてしまいますが。

内観は、とにかくさまざまなひとに効果があるようです。僕のように、「なんとなくリフレッシュしたい」という人はもちろんです。少年刑務所や、精神病院でのカウンセリングとしても用いられているそうです。不登校の子や、引きこもりの方、あるいは摂食障害などのいきにくさを抱えている方にも、ものすごく効くように感じました。

僕に内観を勧めてくださった方は、こうおっしゃっていました。「離婚してしまいそうなご夫婦には、内観がきくのよ~」ふむふむ、です。たしかにそうだと思って納得しました。あと、ターミナルケアの現場には効果的なのでは、と僕は感じました。死を前にして、「ありがとう」と心から言えるのであれば、そこには救いがあります。



一週間の内観を終えて、たくさん泣いて、すっきりしました。帰り際に、多布施内観研修所の池上先生と記念撮影。ああ、この方の前では、絶対にうそはつけない。そう思ってしまうほどの、海のような深い眼差しが印象的な先生でした。

110127池上先生

とにかくまあ、そういう気分で帰り道の車の運転をしていたら、目にする景色さえも、いつもと違ったようにクリアに見えてびっくりしました。空気がきれいな冬晴れだったということを差し引いても、やっぱり何かちがったなあ、と今でも感じます。

家路の道すがら、虹がかかっていました。

110127虹

なんというタイミング。こういうのは苦手なんだけどなあ、と思いつつも、なんだ笑えてきて一枚パシャリ。

そんなこんなで、本当に、実り多い一週間でした。途中、かなり激しい自己嫌悪に陥ってしまい、何度か逃げたくなりましたが、そのぶんのお土産は大きかったようです。

蛇足ですが、1週間ものあいだ体をほとんど動かさなかったので、足がふらふらになりました。こんなことは、高校生の時に足首の筋を切って手術、入院したとき以来かも。

さあ、畑作業がそろそろスタートの時期です。まあ、ずっとこのままの気持ちが維持できるわけもなく、今年も農繁期の盛りにはドタバタと、そして終わりにはぐったりと、心身ともにあわただしく疲れてしまう時があることだけは間違いなしです。でもでも、今回覚えた「すっきりした気持ちに自分をもっていく内観という技」があれば、きっと大丈夫。それなりに、落ち着いていられるのではないかな。そう、確信しています。一度覚えたものを思い出すことは、あたらしく覚えるよりかはずっと楽です。あとは、日常的に「内観的」に暮らしていければ、怖いものなしですなあ。

しあわせに暮らしていくために必要なのは、一に心の健康。二に体の健康。三に、つながり。あとは、そこそこのお金。そう考えると、内観は、心の健康を得るための、なかなか有効な技だと思えます。

さてさて、皆様も、機会があれば、ぜひぜひ。内観を。おすすめですよ~。

ちなみに費用は、多布施の場合だとすべて込み込みで5万円です。お金には換算できないものを得られるということを思えば、申し訳ないくらいに割安です。



長くなりました。そして、読んでくださってありがとうございました。ほとんど下調べもせず、主観むきだしでいろいろ論じてしまいました。失礼がございましたら、お詫び申し上げます。しかしまあ、あれもしたいこれもしたいで、時間がなかったんだもん。しょうがないっす(苦笑)。

「あなたそういうことを書いておられるけど、ぶっちゃけた話はどうよ~」というご質問でも何でも、感じたままにお伝えいたします。何かお尋ねがございましたら、椛島農園tkabashima@hotmail.com までお知らせくださいね。


各種ご案内。

日本内観学会HP

自己発見の会HP(内観に携わる方、興味がある方、のネットワークです。)

多布施内観研修所 電話0952-24-1532 FAX0952-24-1534

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追記。

『しあわせに暮らしていくために必要なのは、一に心の健康。二に体の健康。三に、つながり。あとは、そこそこのお金。そう考えると、内観は、心の健康を得るための、なかなか有効な技だと思えます。』

という僕のくだりをうけて、持病をお持ちの友人から「病気持ちは幸せになれんのか~」とつっこみをいただきました。なるほど~。そういうつもりで書いたのではないのだけど、確かにおっしゃるとおりですわ。

やっぱり自分自身が大病をわずらったことがないので、その気持ちが僕には分からないということでしょう。軽い言葉をぱぱっと使ってしまいます。内観不足ですなあ(笑)


訂正!

V・E・フランクルの言葉にありました。
「幸福は、決して人生の目標ではなく、結果に過ぎないのである」
「あなたが人生に何かを期待するのではなく、あなたが人生の期待に応えるのです」

そうそう。そういうことです。これです。大事です。友人の言葉で、ふっと思い出すことが出来ました。自分の思慮の浅さに反省です。ありがとうございました~!



それにしても、なんというか、、こういう文を書いていると、八方美人&外づらよしお君に磨きがかかりますな。まっ、いっか~(笑)。

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2011年02月01日 日々の暮らし トラックバック:0 コメント:1

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初めまして。
佐賀の内観診療について調べていた所、こちらのブログにたどり着きました。
知りたいことがわかりやすく載っており、本当に助かりました。
ありがとうございます。
私も今月早速行ってみようかと思います。

2012年09月21日 出崎華菜 URL 編集












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