ヴィパッサナー瞑想

3月6日(火)

雨が続いています。畑作業がすすまずにおります。まあ、菜種梅雨。しょうがないしょうがない。

今日は、出荷作業&明日の出荷用意。淡々とした日常といったところです。

冬野菜の残りがだいぶ少なくなってきました。端境期も間近です。例年通り、今月の中ごろまでは通常通りの出荷をいたします。野菜がなくなり次第、春のお休みに入ります。

「あるもの何でもいいから送って」「隔週のところを月イチにして、芋中心でいいのであるものだけ送って」というようなお声をいただいているご家庭には、例年どおりにぼちぼち送らせていただきます。

また、昨年新しくご縁をいただいたご家庭からの「うちはこういうふうに」というお声もお待ちしております。特にご要望がなければ、お休みに入らせていただきますね。

本格再開は、5月の下旬を予定しております。今年は、例年より少し遅めです。ご迷惑をおかけいたします!




さて、旅行のご報告を少々。

今回、熊本→広島三原の友人宅→京都丹波にてvipassana瞑想→京都観光→香川でうどん食い倒れ→徳島祖谷温泉→ふたたび広島三原→熊本、と移動しました。20代のころを思い出す、ぷらぷら自由旅でした。


いろいろ書き留めておきたいところですが、取り急ぎ、メインのvipassanaについて書いてみます。もっときちんとまとめたかったのですが、うーん、時間切れでちょっと消化不良(笑)。とりあえず、備忘のために書いてみました。かなり長いです。苦痛を覚える長さです。よかったらどうぞ。ご興味がなければ、飛ばしてください。


瞑想後の一枚。

vipa.jpg


はじめに

とても、貴重な体験でした。丹波の山すその森の中の瞑想センターで、ひたすら瞑想をする10日間。なかなか普通の暮らしの中では味わえません。男女50人ほどの参加者が、お互いに口をきくこともなく、朝4時半から夜の9時まで、食事や休憩を挟みつつも、基本的にはずーっと座り続けるのです。

そもそもヴィパッサナー瞑想とは何か?。世の中には、いろいろな瞑想があるようですが、その中のひとつです。タイやスリランカやミャンマーで広く信仰されている上座部仏教(日本は大乗仏教)でポピュラーなものです。ほかの瞑想がどういうものか、体験していないのでよくわかりませんが、おそらく神や真言やイメージや呼吸のコントロール、あるいは何らかの作業に意識を向けて「精神集中→自我への執着をなくす」ものだろうと思います。

ヴィパッサナーはひたすらに、自分の体に起こっている現象、感覚を「観察」していきます。目的とするところは同じのようですが、手法が全く異なります。僕の周りに、10人以上体験者がおり、もう10年くらい興味を覚えてはいました。

そして、ヴィパッサナー瞑想の説明によると、瞑想自体は、いかなる宗教や信仰とも矛盾しない、とのこと。そもそも、仏陀が悟りを開いたときに用いた瞑想法だといわれています。仏陀は、仏教という宗教を作りたかったのではなく、単純に「生きるうえでの真理、法則」を伝えて人々を救いたかったのだそうです。彼の死後、お弟子さんたちが教団を組織し、風土に即して分化し続け、現在にまで進化していったのです。それは必然であり喜ばしいことだともいえるでしょうし、根本の教えが届いていないと批判される現況にもつながります。

実際、僕の受けた京都のコースの先生は、ヒンドゥー教徒のインド(出身のミャンマー)人のゴエンカ氏という方です。彼はもともとビジネスマンで、今でも、特に出家しているわけではありません。彼が、自身が瞑想で救われた体験から、積得のために瞑想法をひろめ、現在では世界150ヶ所に瞑想センターがあるとのこと。

また、すごいことに、センターの運営がすべてボランティアワークや寄付で行われています。コースの参加費も、完全に任意です。1円も請求されません。コースに参加した人が、「これはすばらしい。ぜひほかの人にも体験してもらいたい」という気持ちで、寄付やボランティアワークを提供しておられます。すごい!

そんなこんなで、期待と不安を胸に、丹波に向かいました。


瞑想スタート

こんな感じの10日間でした。

初日の夕方、ぼちぼちと参加者が集まってきます。のりこと「じゃあね」と別れ、受付へ。センターの建物は、思った以上に立派、清潔で、なにより暖房が行き届いていました。空気の乾燥が少々気になるものの、阿蘇よりずっと快適。夜、参加者とスタッフあわせて60名ほどが集まり、インストラクションを受けます。そして、瞑想のスタート。これから10日間、先生に瞑想のテクニックに関する質問をする以外、誰とも口をきかない時間がつづくことになります。

寝室の同部屋は僕をいれて8人。みんな、大体30歳前後といったところ。向かいの布団の人、その隣の人は「いかにも」といった感じの雰囲気。それにくらべて自分は大丈夫なのか…、と不安が頭をよぎります。すっきりしない気分のまま、最初の晩、布団にはいりました。

朝は、4時起床。コーン、と鐘がなり、周りの人がごそごそ動きだす音が聞こえます。みな、無言でおきだし、無言で布団をたたみ、無言で歯をみがきます。4時半から朝の瞑想スタート。

まず、最初の3日半は、呼吸の観察です。アーナパーナという瞑想です。まず鼻から空気が出入りしていることをじっと観察します。入る空気の冷たさや、出る空気の温かさ。右の穴から出入りしているのか、左からか、はたまた両方からか…。

随時流れてくる先生の指導のテープ。英語の説明のあとに日本語訳が続きます。ただ、それにしたがって、言われるがままにトライしていきます。きわめて分かりやすい説明に、ふむふむ、と納得を感じ、座り続け…。

次第にステップアップしていくのが分かります。呼吸に集中していくことで、皮膚表面の感覚に敏感に気づけるようになります。鼻から口にかけての皮膚に意識を向け続けます。普段なら決して気づくことのない、皮膚の繊細な繊細な感覚に気づく自分に、「ん、なんだこれはっ」と期待がふくらみます。

しかしながら、ただ座り続けるのは苦痛です。足や背中も痛く、呼吸の観察にも当然飽きてきます。うーん、きついなあ、来なきゃ良かった~、という思いもわきあがってきます。瞑想に来る前に寄ってきた農家友達の農場がとてもステキで、その刺激が強すぎて帰宅後にやる仕事の段取りで頭がいっぱいになってみたりと、なかなか集中できずに時間がながれてゆきます。

時折聞こえてくるのりこのくしゃみも気になります。なかなか気持ちがのらず、しょうもない細かいことが気になります。せっかく着替えを持ってきたのに、家で薪ストーブの火で乾かす際にいぶされてしまって木酢臭がするぞ、くさいぞカバシマ、ほかの人にどう思われているだろうか、とか…。洗濯物干し場のほかの人のパンツをみて、おお、なんて派手なパンツをはいている人がいるんだ、この柄はちょっとなかろうや、とか…。ああ、情けない…。

そして、そんな、4日目に、実際のヴィパッサナー瞑想はスタートしました。


ヴィパッサナーが始まり…

説明のテープが流れ始めます。50人ほどの生徒さんが一同に座った瞑想ホールは、昼間でも薄暗く、凛とした空気が流れています。「お、いよいよか」という雰囲気が参加者の中に起こるのを、言葉がないなかでも感じます。

説明のままに、意識を、ひたすら体の表面にむけていきます。頭からつま先まで、こまかく、「なんらかの感覚がないかどうか」調べていくのです。それは、空気の感覚であったり、服の感覚、かゆみや、湿気、などなど。

ヴィパッサナー瞑想に入り、強く「体を動かさないこと」と言われます。当然、足や背中の痺れも激しいです。脂汗が流れてきます。苦痛で呼吸が荒くなります。そして、肝要なことは、どんな感覚も、徹底的に冷静な目で持って、「観察する」ことなのだといわれます。そして、「痛みも、感覚のひとつに過ぎない」と…。そんなことを言われても、おいおい、どうすりゃいいんだ、と。苦痛で顔がゆがむのがわかります。




日は昇り、また沈み、また昇ります。はて今日は何日目だったか、そうか、あと何日で終わりか、と指折り数える日々…。雪も積もり、心も重くなります。

休憩時間も、決して楽しい時間ともいえません。ご飯はとてもおいしい菜食でした。ボランティアの方が用意してくださいます。しかし、夕食はフルーツを少々とお茶のみ。体がしまっていくのを感じます。本や携帯、メモなどの持込も禁止されます。徹底的に、10日間だけ、瞑想だけに集中できる空間が提供されているのです。

娯楽といえば、お風呂や、中庭の散歩、人間観察、タオルやパンツの洗濯、位でした。歯磨きさえも、かなりの娯楽と化し、10日間で、歯がピカピカとなりました。あとは、男女の生活空間、瞑想スペースが区切られているなかでもなんとかちらりちらりとのりこと目をかわすこと。本当はそういうのもいけないのですが、まっ、いっかと(笑)


うんちく…

しかしながら!!、それなりにだんだんと瞑想のコツが自分なりに把握できてきたようでした。面白いものです。痺れにも慣れてくるものです。説明のテープがいつものように流れます。「無常を、知識ではなく、体験として感じなさい」と。

うんちくとしては、こういうことです。自分の体をひたすら観察することで、自分の体ですら、変化を続けていく存在に過ぎない、と気づきなさい。万物は無常である。生物の体も、移り変わっていく「現象」に過ぎない、という事実に気づきなさい。そして、物事に、自分自身に、とらわれることのないようにしなさい。物事を、ありのままに、偏見や思い込みなどをもたずに、きちんと見ることができるようになりましょう、ということです。

人は、常々、五感で何かを感じると、それに対して、過去の体験や思い込みという色眼鏡をかけて「良いもの、すきなもの」と「悪いもの、嫌いなもの」という二分割的な反応をしてしまいます。頭で気づく以前に、体の奥底で、いうなれば潜在意識で、好きなものや心地が良いものに対しては、「もっともっと」という渇望を覚え、その逆では「嫌悪」を膨らませます。その際、通常ではまったく認識できない速度で、細胞の中の素粒子のレベルでぷちぷちぱんぱんぎんぎん色々な反応が肉体に起こっているのです。そして、その結果として、頭で「ああ、なんだかあのことを思うと気分が重い」となるわけです。

「なぜ気分が重い」のかを言語で整理して探っていき、「そんなに極端に思いつめることないよ。大丈夫だよ」と分析していき、気分をやすらげるカウンセリングの手法もあります。はたまた、気分のしこりを「当然あるもの」としてあるがままにほおっておき、日々やるべきことをやっているうちに落ち着いていく、という手法もあります。

ヴィパッサナーの場合は、それを、言語を使って表面意識のレベルで行うのではなく、あくまでも肉体の感覚レベルで潜在意識で行う、というわけです。いちいち過剰に「反応」することと、「思い込みという色眼鏡をかけること」を止めてしまえば、濁りのないまなざしで、現実的に物事に対処していけるというわけです。ちなみに、「色眼鏡をかけること」を、パーリ語でサンカーラといいます。座っているうちに、古いサンカーラが体のうちから表面ににじみ出てきます。それをもただじっと「観察」していると、生まれては消えていくことが分かります。肉体が、変化していくことに気づきます。自分自身が、変化し続けている存在にすぎないのに「自分が、自分が。自分のものが。」と執着することは無意味なことです。それを、肉体感覚で、「体験」すると、気分が実にすっきりする、というわけです。

うむ、たしかに文章では???という感じですなあ。そして、われながら書いていてちょっと怪しい…(笑)そう、理屈を書いててもしょうがありません。ヴィパッサナーは、言葉やイメージではなく、あくまでも肉体の感覚の観察です。具体的なイメージヴィパッサナー瞑想が「生きる技法」と呼ばれる所以です。


自分の体験

さて。そういううんちくを踏まえたうえで、自分自身は実際にはどうだったのか。確かに、こういうことが自分の体の中で起こりました。ほんのほんのほんのちょっとだけですが…。

座っていると、痛みがでてきます。最初は、痛みにとらわれます。気になってしょうがないです。そして、諦めて、痛みをどうにかしようとせず、「痛みがある」という感覚をひたすら観察します。そうすると、痛みは消えます。それでも、痛みます。しかし、ただじっと観察していると、そのうち消えます。

そうこう繰り返しているうちに、すっと、楽になる瞬間がきます。気持ちが良くなります。頭のてっぺんからつま先まで、体の中を、ひとつの水流が流れているような感覚とでもいうのでしょうか。人によってその表現は異なりますが、なんというか、とてもよい感覚です。リラックスしているけれども、体の隅々にまで神経が行き届いているのがわかるような感じ。頭の上から水滴をたらしたら、その水が水面の波紋のようにさぁーっと下に流れ落ちるのが皮膚でわかるような何か。ちょっと怪しいですが(笑)、僕はそんな感じでした。

が、そういう状態を感じることは、ヴィパッサナーの目標点ではけっしてないのだそうです。そんな時でも、改めて体の観察をこまかくしていくように教えられます。そうすると、確かにまた痛みを感じたり、流れがよどんでいる部分を感じたりします。

ああ、なるほど、体は、変化し続けているんだなあ、こうして座っている間にも素粒子がぷちぷち反応しているんだなあ、とちょっと納得でした。まあ、自分でそういうふうに感じるようにイメージしてもっていったといえなくもないですが、まあ、それはそれでいいかと(笑)

面白いことも体験しました。まだ痺れや痛みに慣れていないとき、ジンジンと体に電気が流れるような感覚がありました。瞑想に集中しようと思いつつも、そして、痺れや痛みを感じつつも、頭の中はよく雑念や妄想に流れてしまうものです。

ふと、昔のいやなことを思い出したとき、確かに、そのジンジンが激しく体を流れていくのが分かりました。逆に、急にジンジンがきつくなって「あ、こりゃなんだろ」と思うと、意識が降りだした雨にむかっていました。梅雨の大雨で毎年ひどい目にあうので、僕はいつも雨が降り出す音に無意識に「嫌悪」を覚えてしまう体になっているようなのです。

心と、体の感覚は、密接に結びついているのだ、と初めて心から感じた瞬間でした。


さて、そういったわけで、それなりに、自分なりに、満足納得充実の後半daysでした。とてもさわやかな気持ちになりました。歯も、日をおうごとにますますぴかぴかに。おなか周りも日増しにすっきりとして、おだやかな時間でした。

が、それゆえに、最後の2日間ほどは、とにかくもう長く感じました。「悟りを得るために、努力しましょう。がんばりましょう」という空気がテープからは流れるのですが、「いやいや、ぼちぼちでいいっす。自分の力で悟りを得られなくても、他力本願南無阿弥陀仏で、まあまあぼちぼち、笑っていければいいっす」と変な開き直りモードにはいってしまう自分にわれながら苦笑でありました。

そして、瞑想最後の日…

午後になり、会話の禁止が解かれます。みな、堰を切ったようにしゃべりだします。そのテンションの高さたるや!!今まで禁欲的な禅道場のような雰囲気だった場が、突然インドかどこかのバックパッカー宿の中庭みたいな雰囲気にがらりと変わります。それはもう、びっくり。

みんな、僕はああだった、こうだった、これはすごい、とか、よくわからんかった、とか、三々五々に口にします。概ね、「よかった。すばらしい体験だった」という感じでした。感じ方や、程度は人それぞれですが、貴重な体験をしたという認識はみな同じのようでした。

参加者の生業やライフスタイルも、個性的な方が多かったです。ヨガの先生や、屋久島に移住したカメラマンさん、世界一周旅行のラストとして参加した方や、北京在住10年というアーティストさん、禅宗のお坊さん、などなど。もちろん普通にお勤めのサラリーマンの方もいらっしゃいました。いわく、「帰ってきても席がないと思え」と上司に言われて休暇をもらってきたとか。外国人の方もいました。映像を作っているフランスの方、大学で異文化コミュニケーションを教えるアメリカの方。年齢も様々。いやー、ほんとに、外国に来ているかのような非日常間でした。

ちなみに、瞑想後に10日ぶりにのりこと話をした時はどきどきでした。のりこが「もう、最高。ずーっと座っていたいわ。ん、あなたは悟ってないの?だめね~」とか「もう、瞑想なんて絶対やだ。最悪の新婚旅行よー」とかいう極端な反応だったらどうしよう!とちょっと心配でしたが、

結果的に、ふたりとも、ぼちぼち「いい体験だったね。でも、長かった。きつかった~」という塩梅が同レベルだったので、よかったです。なにより、こういう体験を共有できたということが、つくづくシアワセだなあ、と感じました。同室の方に、「あら、ご夫婦で!?。シアワセね~」とのりこはいわれたそうで、ほんとにそうだと思います。

ちなみに蛇足ですが…。のりこは雑念妄想が膨らみすぎて困ったとのこと。日々の料理であれ作ろうこれ作ろうとか、まだ予定もないのに子供の名前とか、さらに、その子が小学校の入学式にはどんな服を着ていこうかなあとか、とどまることない妄想で遊んでしまっていたようです。あっぱれ!


後日談

さて。「長い長い」「しばらくは座らんぞ」と感じた僕ではありますが、不思議なことに、阿蘇に帰ってきてからはまた違った感覚を覚えています。日常生活の中では、ついついちょっとしたことで心が乱れてしまうものです。そんな折、確かにちょっと座ってみるのもいいかも、とここ数日、毎日感じています。

でもねえ、実際にはなかなか時間がなく、難しくはあります。

ちなみに、今月の後半は、消防団のポンプ操作競技大会の練習で毎晩のように練習&飲み会があります。2、3日位なら問題なく、「まあこれもまた楽しいなあ」と言えるのでしょうが、毎晩となるとさすがにちょっとキツイ…。田舎の人情や治安はそういうところで守られてるようなものだし、お祭りみたいなものだし、しょうがないとは分かっているものの、ほかにもやらなくちゃならんことが山積みの暮らしの中では、うーん、気が重いです(笑)。

そうだ!

そういう折に気持ちがきつくなったら、座ってみることにします。「忙しい~、きつい~」とわめくのではなく、ただ、それを肉体感覚で観察してみることにします。ヴィパッサナーが、その真価を発揮するかどうか、僕にあっているかどうか、わかることでしょう。

ふむふむ、そう思えば、なんだかちょっと楽しい。

ちなみに、ためしに昨日1時間弱だけ座ってみたところ、うまくいきませんでした。コースの後半に感じたような感覚は全く感じることができませんでした。それどころか、最初のステップである呼吸の観察にも集中できません。いやー、やはりあの環境はすごかったのだ、と再認識であります。あの「感覚がほどよく研ぎ澄まされた状態」を日常生活でキープするのは至難の業のようです。まあ、それはそれでよしとしましょう。


とにかくまあ、よい体験でした。ずっと気になっていたので、まあなんというか、ひとことでいうと、気がすみました!! ご縁に感謝です。

まとまりのない長文をご覧いただき、ありがとうございます。いやー、疲れました。そして眠い。おやすみなさい~。

 

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2012年03月06日 未分類 トラックバック:0 コメント:1

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瞑想の記事、遅ればせながら拝見しました。体験の様子が事細かに書かれていて、何となく雰囲気を感じ取ることができました。色々な方々が参加されているんですね。ご夫婦で一緒に参加されたということは、とても素晴らしいことだと思います。ありがとうございました。

2012年04月02日 荒尾 URL 編集












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