しみじみ

9月28日(金)

快晴秋晴れの一日でした。
先週、だいぶ冷えこんで季節がぐっとすすんだ感じがしていましたが、今週は日中は気温も高かったです。実に素晴らしい天気でした。とはいえ、台風接近中。なるべく日本列島から遠くを通ってくれるようにいのるばかりですねえ。

今日は、出荷や、ニンニク用のマルチ張り、あとは鶏のえさの大麦を下の町にとりにいきました。ご近所さんに不幸があり、ちょっとドタバタ。お世話になった方が無くなるのは、さびしいものです。ひとつところで6年住んでいると、短い間にもそれなりに時の移ろい、人の命のはかなさ、新しい出会いや別れのめぐりあわせを感じます。しみじみと無常を覚えます。


先日の作業。

近所の耕作放棄田んぼ。荒れないように、集落の共同作業で草刈をしました。その後、草をブロックにしてもらいました。

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うーん、機械の力はすごい。すごすぎる…。

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素晴らしい堆肥ができそうです!

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ちょっと傾いてますね。案の定、後で見たら、崩れてました(笑)


ごぼうも、いい感じです。

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ヒエが実ってます。田畑にあれば「雑草」。畑で栽培すれば「雑穀」。

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レオさんのお気に入りの場所は、まきストーブの上。笑点の大喜利ばりに、座布団やらベッドやらおいてます。うむ、世話がやけるなあ。ストーブに火をいれるときは、どうしましょうかねえ(笑)

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さて。秋の夜長で、最近ようやく本が読める季節に入ってきました。



(前略・昔の田んぼの作業がいかに肉体的につらいかという記述の後に)…これが何日も続くのである。労働としてならさながら地獄である。百姓が耐えられたのは単なる労働とは考えていないからである。つまり、稲の手入れ、稲がよろこんで育つように手塩をかけての仕事だから続けられたのである。労働は苦痛だが献身はよろこびである。つらい農作業の中に百姓はよろこび見出していた。

が、これは一般社会には通用しない特殊な価値観であり、多くの百姓が、その境地に至るまでの洗脳、自己改造の過程で苦しんだ。


現在の農業は機械化によって、当時とは比較にならないほど体はラクになった。が、仕事が労働に落ちてしまったことも事実だ。



以上、「ザマミロ!農は永遠なりだ」山下惣一著、家の光協会、より引用です。頭をカーンとたたかれたような気分になりました。昔の作業のつらさは僕にはわかりません。でもそれなりに体を使って日々を生きている身として
は、山下さんの言葉がひしひしと体に浸み込むように思うのです。

ただ単に楽をしよう、お金を稼ごう、便利さを求めよう、というようなことを思えば、農家暮らしはただただきついだけです。でも、結果だけでなく過程も楽しもう、あるものでなんとかしよう、そして人はこうやって太古からつつましく大地に足をつけて生きてきたから俺もそうしていくのだ、というような気持ちになれたら、山下さんのいうところの自己変革に勤しんでいけるのだと思います。まあ、まだまだそれこそ過程ではありますけどねえ(笑)


ちょっと長くなりました。ではでは。

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2012年09月28日 日々の暮らし トラックバック:0 コメント:0

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