こうのとりのゆりかご

7月20日(日)

先日のこと。

地元の中学校に、「こうのとりのゆりかご」で有名な熊本の慈恵病院の元看護部長、田尻由貴子さんの講演を聞きに夫婦で出かけた。息子の通う保育園で案内チラシを頂いたのだ。中学校の授業の一環としての講演なのだが、部外者も参加可とのこと。講演会好きな僕達夫婦にとっては、嬉しいお知らせだった。昼の暑い時間帯で、行って帰ってで1時間半。農作業の支障にもさほどならない。昼ごはんを書きこみ、いそいそと車に乗り、家を後にした。

会場は、中学校の体育館。講演の後に、PTA総会があるとのことで、保護者の方にも参加をよびかけていたという企画だということだった。出席者は、全生徒120人位、先生方15人位、保護者100名弱、といったところだろうか。

通称「こうのとりのゆりかご」とは、いわずと知れた、慈恵病院にある赤ちゃんポストだ。この世に生を授かったものの、親が育てることが出来ずに、赤ちゃんを遺棄する事件が日本でも少なからずある。そんな惨状をどうにかしようと立ち上がったのが、慈恵病院の蓮田先生をはじめ、スタッフの方々というわけだ。

ちょうど、僕が阿蘇に来て新規就農した年に赤ちゃんポストの運用が開始され、賛否両論いろんな意見がニュースや新聞上で飛び交っていたのを覚えている。あれから7年。ドラマ化もされ、ますます議論が盛んに行われている。

田尻さんは「こうのとりのゆりかごは、シンボル的存在なのです。」とおっしゃっている。大事なのは、シンボルとして認知されることで、とにかく出産前に相談をしてほしい、ということなのだそうだ。そういう意味では、効果はあがってきているそうだ。ただ、24時間体制で相談を受け付けるのは人手の面でかなり厳しいとのこと。

話は、パワーポイントのスライドを見ながら、分かりやすく流れていった。ちょうど難しい年頃に入る中学生向けのお話ということで、講演というよりも、授業、という感じだった。田尻さんの自己紹介から、慈恵病院、こうのとりのゆりかごのについての説明、効果と課題、と流れるように進んでいく。

こうのとりのゆりかごからみえてくる具体的な事例は、聞く者にとって驚きを感じるものであった。利用者のデータから見える、若年層の性の実態。そして、社会のセーフティーネットやコミュニティーの脆弱化。ネット社会化がすすんでいることが、明らかな原因の一つとなっているようだ、と。中学生や、保護者にとって、かなり衝撃的な具体例をひとつひとつ挙げておられた。警鐘として胸に迫るものがあったと思う。

そして、話はより深くなっていった。では、大事なことは何なのかと。田尻さんがおっしゃるには、自己肯定感をはぐくむ家庭環境が何より大事なのだそうだ。自分を大事にする心や、自分の行動に責任をとることのできる理性を、大人が子供に教えていかないといけない、と。

残念ながら、このあたりから話がちょっと抽象的になっていった。46億年の地球の歴史、36億年のいのちの営み、ということから始まり、ヒトの受精、妊娠期間中の胎児の様子、と話が進む。最後は、みんな違っていい、という金子みすずさんの詩や、相田みつをさんの詩を引用しておられた。本当に、すばらしいメッセージなのだが、中学生にとっては前半の「現場の話」のほうがわかりやすかったかと感じた。中学生には「いのちを大切にしましょう」「思いやりを持ちましょう」と言葉で言っても多分、伝わらないと思う。いや、それは大人相手でも同じことか。結局、人は自分が体験したことからしか本当には学べないのだと思う。

そして、この日一番嬉しかった光景が、この田尻さんのこの質問の直後に見られた。「どうでしょう。みなさん、自分のことは好きですか。自分のことが大嫌いっていう方はいますか?」

ここは、日本だ。居合わせた参加者は、(おそらく)みんな日本人だ。こういう時、ぱっと手を挙げられる人はほとんどいない。周りの目がきになるし、恥ずかしい。それが、田んぼ社会、村社会の文化というものだ。その中で、たった一人だけ、手を挙げた生徒がいた。僕には、その、ぴんと、まっすぐ、天井にむかって、伸びていた手は、とても力強いものに見えた。

ああ、よかった。ここに、勇気ある中学生がいた。だいたい、思春期なんて、自分のことが嫌いで当たり前だ。もちろん、好きな面も、嫌いな面もあるのだろうけど、嫌いな面がないという子は、あまりいないだろう。僕の座っていた席からは、その顔はまったく見えなかったが、いったいどんな子なんだろう。何年生かなあ。部活動は何をしているのだろう。ご両親との関係がうまくいっていないのかな。友達が出来にくい子なんだろうか。一気に僕の妄想は膨らんでいっただった。

そして、僕は君に伝えたい。大丈夫。自分のことが嫌いだ、とみんなに言える君は、素晴らしい。もし、自分が嫌い、ということを膝を突き合わせて話し合える友達がいたら大事にてもらいたい。そして、もしそんな友達がいないとしても、いや、そもそも友達ができないとしても、まったく心配しなくてもいい。君はひょっとしたら友達がいなくてもいいタイプの人かもしれないし、今がそういう時期なだけかもしれない。

そして、世界は広い。もし君がなにか一つでも好きなことがあれば、それを大事にしてどんどん深めていけばよい。友達は作るものではなく、出来るものだ。君がもし、「変わったやつだ。空気の読めない奴だ」と思われているとしても、大丈夫。大人になったら、世の中にはそういう人間が輝ける職場もあるということがきっと大人になったら分かるよ。

僕が、そうやって妄想にふけっている間に、時計の針は進み、講演も終わりとなった。「はい、保護者のみなさん、今日はありがとうございました。では、最後に。」パワーポイントの画面が切り替わる。

「豊かな自然と」 

うなずく僕達夫婦。

「適度な貧乏と」

ん?

「愛情があれば」

「こどもはしっかり育ってゆく」

聞こえてくるクスクスという保護者の方々の声。そしてにんまりしてささやいてしまう僕達夫婦。「適度な貧乏って、必要条件なのか!?」「わお、うち完璧じゃない?」まさか締めの言葉がこんな風なものだとは思わず、びっくり。いやはや、面白かった。ゆっくりとしたやさしい語り口に、聞き入ってしまう講演だった。ありがとうございました。

聴衆の拍手で田尻さんをお送りした後、中学校の先生の言葉。「今日は、保護者の皆さんも御忙しい中お集まりくださり、ありがとうございました。また、保護者以外の地域の方もお見えになっておられます。ありがとうございました。ではこれから、警察署の方からスマートホンやインターネットの利用法について注意と説明がありますので、保護者以外の方はどうぞここで解散ということで、よろしくお願いします。ありがとうございました。」

よし、じゃ、帰ろうか、と席をたったところ・・・。保護者以外の方で着ていたのは、僕達二人と、もう一人女性の方がおられるだけだった。なんだか、こっぱずかしいなあ。妙に急ぎ足で体育館を後にする。ああ、あの手を挙げた子だたら、ゆっくり歩いていくのかなあ。なんで俺はこんなにイソイソしてるのだ、まだ息子が一歳半なのに性教育がテーマの講演など聴いて気が早いと思われていたらどうしよう、とか、そんなの誰も気にしてないだろ、とか、頭の中で言葉がグルグル(笑)。そして、隣をあるく妻もイソイソしているのだ、まあこの人は僕ほどには頭の中で言葉をグルグルさせてはないのは間違いないけど、アウトプットとしての行動派似たもの夫婦だなあ、と笑いが出てきた。

体育館を出ると、梅雨の終盤の曇天の合間から、まばゆい一条の光が村を照らしていた。よし、とりあえず、今、ここで、できることを、毎日コツコツやっていくのだ。課題は多いけど、生きていくって、そういうことだ。ちょっとだけ、腹に力がはいった午後のひと時であった。

kuginokaraP7150084.jpg

スポンサーサイト

2014年07月20日 日々の暮らし トラックバック:0 コメント:0

<< 田畑の様子 | 南の大地より  椛島農園日記TOP | 7/14~7/20のセット >>












管理者にだけ公開する