自殺させない社会

2月8日(日)


先日ご紹介した、「自殺をさせない社会を作る~生活困窮者自立支援法の可能性を探る~」というパネルディスカッションに行ってきました。

発達障害を抱えて生きてきて、その生きにくさから自殺未遂を図った当事者の体験談に始まり、「ミスター介護保険」と名高い官僚である山崎史郎さんの講演、各現場をささえる方のパネルディスカッション、といった内容でした。

参加者は、福祉行政や、生活困窮者支援の実際の活動にかかわっていると思われるNPOの方などが多かったようです。壇上の方が話される事例の報告などに、多くの方が「ふむふむ」「わかるわかる。そうですよね」という感じでうなずいておられる姿が印象的でした。僕は、そういう現場を知らないので、「ほー、そうなんだー」と、勉強させてもらいました。

今年の4月から、生活困窮者自立支援法という新しい法律が施行されます。今までの縦割り行政ではうまく支援できていなかった方々をサポートすべく、国も動きだしたということでした。

生活困窮といっても、いろいろあります。高齢者の介護、障害者の介護や自立支援、就労問題、貧困、地域化rの孤立、などなど。いろんな問題が複合的にからまって、結果として鬱になってしまうケースが多いようです。そしてその先に自殺という選択があるのだそうです。

清水康之氏が代表をつとめるNPO自殺対策支援ライフリンクの調査では、自殺の要因を聞き取り調査をしてまとめています。「自殺実態100人調査」というレポートにある図です。

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紹介されている事例を見てみても、

・失業→生活苦→多重債務→うつ病→自殺
・連帯保証債務→倒産→離婚の悩み→将来生活への不安→自殺
・昇進→過労→仕事の失敗→職場の人間関係→自殺
・介護疲れ→自営業の事業不振→過労→身体疾患+うつ→自殺
・子育ての悩み→夫婦間の不和→うつ病→自殺
・親子間の不和→ひきこもり→うつ病→将来生活への不安→自殺

とまあ、なんともいえないリアリティーを感じます。いまのところ、順調な移住&新規就農生活を送っている椛島農園ではありあすが、病気などのちょっとしたきっかけでこの生活なんていつ崩れてもおかしくないのだろうなあ、と思うのでもあります。

自殺にはいろいろな要因があります。社会とは無関係な、極めて個人的な理由というものもあります。しかしほとんどのケースでは、その背景には社会との関係性の中で生じた苦悩があるのだそうです。ある意味自殺は時代や、文化、人々の暮らしや経済を映し出す鏡なのかもしれません。社会学の祖であるデュルケームが、100年以上も前に調査をして提唱しています。

基調講演の山崎さんのお話が印象的でした。

「こういってしまっては何なんだが、という前提で・・・。どんなに制度を作っても、本当に援助が必要な人には援助が届かないということが多い。人は制度で救えない。人を救えるのは人。支援する人を社会がしっかりサポートして評価するという仕組みを作ること」

よりそいホットラインを立ち上げてみて分かったこと。みんな、相談する人がいないし、漠然とした不安を抱えている。夏休みの子供電話相談みたいに、『○○がわからないので教えて下さい』というふうにはいかない。一日4万件の電話がかかってくるが、ほとんどは『具体的な回答を求めているのではなく、とにかく話を聞いて欲しい』というものだ。具体的な差し迫った課題ではなく、漠然とした不安をとにかく誰かに聞いて欲しいのだ」

「(現在関わっている)地方創生について。結局、地方創生も、自殺の問題も、少子化のことも、介護のことも、根底は同じ。今、日本社会の底が抜けてきている。厚生省でずっとやってきたものの痛恨の極みとして思うことがある。それは、「第3次ベビーブームが来なかったことだ」

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「ちょうど団塊世代の子供達が子供を産むというタイミングで、経済状況が悪くなった。核家族化が進んだ。非正規雇用が進んだ。出生率が一番低いのは、地方から東京に出てきた女性です。子育てを、こんなに母親だけでやる時代なんて今までなかった。子育は、社会で育てるものです」




講演は本当に面白く、勉強になりました。そうですよね。全部、つながっているのだと思います。仕事がないから田舎に若い人が残らない。大都市ではますます子育てがしにくい環境になってしまう。という悪循環が起きているようです。極論を言うと、「田舎で、お金がそんなになくても楽しく暮らしていけばいい」という人の割合が増えればバランスの取れた社会になるのでは、と個人としては思っています。

パネルディスカッションでは、路上生活者の支援を長年行っている福岡の奥田牧師や、グリーンコープが運営する社会福祉法人の理事長金羽氏のお話が印象的でした。

金羽氏の話によると、「最終的に生活困窮者が取る究極の選択は3つだ。自殺か、路上生活か、刑務所か。今、日本の刑務所は障害者と、高齢者ばっかりです。仮出所できる人はいいんです。家族なり、社会に居場所があります。どんなに刑務所で模範的な受刑者であっても、居場所がなくて最後まで刑期を勤める人が多いです。彼らが社会に戻っても、雇用や居場所という受け皿がなく、再犯してしまう。どうにかしなければ」

ネットで検索してみても、いろいろでてきます。


と、まとめを書いてはみるものの、今の社会に対して自分が何をしていけるのか、全く持って分かりません。ただ、「ホントに、なんとかしていこうよ」という声を、お互いにちょっとずつでもいくことがスタートなのかな、と思っています。そして、どんな形でもいいから、地域に関わっていくことなのだと思います。

僕も、みんなでワイワイやるのがすきな社交的な性格ではないし、おせっかいに人の世話がやけるタイプではありません。でも、このまま世の中が孤立化、効率化、個人主義化していくと、本当に大変なことになっていくような気がします。少なくとも、子供が当たり前に安心して普通に道を歩ける社会を作らねば、守らねば、と思います。

一方で、年の人口が膨らんだ理由の一つとして、田舎のしがらみやら何やらがイヤで多くの人が街に出ていったという側面もあると思います。絆、という言葉のいい面ばかりが強調されますが、もともと絆は、馬や牛をつなぐ綱、という意味です。しがらみのないよそ者が、あたらしい風を吹かせて農村を作っていくというのも最近の流れであり、需要があることなのだと思います。


最後に。

体験報告ということで、自殺未遂をされた方のお話がありました。

こんなお話でした。子供の頃からずっと「普通になれない。人ができることができない」という違和感を抱えつつも、就職、結婚をして暮らしてた。でも27歳の時に限界を感じて、失踪してしまった。首をくくるためのロープを持って11月の寒い屋久島の森に入り、1週間山をさまよった。死ぬ場所を探しながらも、どうせならと思って宮之浦岳の頂上に立ってみたら、その景色に言葉にならない感動を覚えた。その後、鹿の親子に遭った時に、急に何かが堰を切ったように涙が溢れてきた。慟哭をこらえきれずに、ただただ泣いた。泣き続けた。結局死に切れず、警察に保護された。

本当にきついときに必要なのは、「大丈夫だよ」というぬくもりや温かさ。よりそうこと。ただそれだけなのだそうです。今は、助かった自分にできることとして、苦しい状況にある人の力になりたい、という思いをお話になっておられました。

僕も、こういう「大自然の中で自分の中の何かが崩れる感覚」、分かるような気がします。もちろん、お話下さった方の抱えていたその時の苦しみは、僕のと比べるのも失礼なほど深いものなのは分かっていますが。とにかく、自然には、そういう力があるということは確かだと思います。

参考までに。
熊本県発達障害当時社会 littlebit

長くなってしまいました。ああ、もっと短くまとめられるようになりたいなあ~。

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2015年02月08日 日々雑感 トラックバック:0 コメント:0

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