カボチャ収穫

----加筆しました。長いです!----

秋晴れの一日でした。

梅雨明けに定植をしたカボチャの収穫をしました。

葉っぱも大体枯れて、草も生えてきて、遠くからみたらカボチャがどこにあるのやら、という状態。

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種を落とす前に、草もとってしまわないといけません。

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こんな感じで、草を下に敷いて、泥除けのマットにしてましたが、

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お尻の部分が日にあたらず、こんな風に・・・。時々向きをかえるなりすればいいのですが、手が回りませんでした。見た目は悪いですが、中身は同じカボチャです。と書いてみてもなんだか言い訳っぽい(苦笑)。来年は転がしたいものですね。

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カボチャにまぎれていた地這えキューリ達。

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でかいです。手前にあるのは普通の大きさの(収穫用)包丁です。

キューリをきっかけに、種の話を少々。

野菜の種は、大手の種苗会社が作っているF1種を買っています。F1種は、収量は安定する、形がそろう、成長は速い、などのメリットがあります。でも、その特性は一代限りのものなので、花を咲かせ、種をとっても、次の代には収量も形も味もばらばらになり、商品になりづらいです。

なので農家としては、またF1種を買う、ということになります。気が付けば、種は一握りのメーカーの寡占状態になっており、その採取場はほとんど外国という状態です。そして、無農薬の有機野菜といっても、種には消毒がしてあり、食べることはできない、という状況。

そしてさらに、(外国では)種子メーカーが、農薬の抱き合わせ販売もおこなっています。自給用に適した、収量は多くないけども力強い種がいつのまにか地域から消えていき、大資本が必要な大規模農業ばかりが広がっています。

収量は多いけども、そのためには大型機械や大量の燃料や農薬がいる。自立して大地に二本の足で立っていた農家は、いつのまにか外国資本の大規模農場の労働者となる。肥沃な大地があるのに、ちょっとした野菜を作る自由さえ奪われ、缶詰でご飯を食べる。そんな現実が開発「途上国」で、広がっています。奴隷制度はなくなったけど、経済奴隷という意味では、昔も今もあまりかわらないのでないか。そんな声さえ聞こえます。

日本でも本質的には同じ問題を抱えていると思います。小さい農家は食えなくなり、大規模化、企業化がすすんでいます。でも、大きくするということは、そして品目を絞り込むということは、大きなリスクが伴います。北海道では、大型機械を買うための担保として、生命保険加入が必要なことさえある、と聞いたことがあります。もちろん一概にそれが悪いことだとも言えませんが、本当にそれでいいのか、という思いは沸き起こってきます。

ヒトが本来、文字通り「食べていく」ということは、そんなに複雑なことなのでしょうか。ほんの一昔前まで、身の周りにある自然の中で生かされていたのに、なぜそれが今は出来ないのか。出来ていたことができなくなっているのに、発展とは、成長とはなにか。もっとシンプルに暮らしていけないのか。ついつい考えてしまいます。

自衛隊の派遣に関する議論にしても、やはり腑におちないものを感じます。エネルギー、食料のほとんどを外国に頼っている現状で、外国の「顔色」をうかがうことなく、正論を述べることが出来るでしょうか。
別に僕はナショナリストではないですが、まず、日本という国も、二本の足で自立して、自然が与えてくれるものの中で、生きていくことを、思い出すべきだ、なんて思ってます。

個人と個人の関係、個人と組織の関係、個人と地域の関係、地域と国家の関係、国家と国家の関係。いろんなものが、まずはそれぞれの「自立」をもとに、「共生」する。そんな関係を築けていければいいですね。

僕が百姓の暮らしに惹かれた理由の一つに、「依存しない」精神の自由を、生活の中で感じることができる、というものがあります。組織の一員である前に、国家の一員である前に、なによりも自分が一生命体であり、自然の一部である、と感じられます。

もちろん、自分が経済の一部であり、国家の一員であることもわかっています。この暮らしもまだ始めたばかりだし、何も分かっちゃいないということも感じています。でも、湧き上がる思いはしょうがないのです。

そしてなにより、日々、周りの方に本当に本当に助けられながらも、自由な心でいられる、という事実に、ただ感謝いっぱいであります。

ああ、またむちゃくちゃに脱線してしましました。悪い癖ですね。書き出したらとまらん。(苦笑)

話を種に戻します。

イモやマメ、米や麦などは、固定種や在来種といわれる種が比較的多く使われます。固定種とは、昔からその地方に伝わる種です。種をとっても、次の世代でも、同じ品質のものが出来ます。

F1の野菜の種からでも、何世代も交配、種取を繰り返していると、品質が安定してきて、その土地その土地、そしてその畑その畑の固定種ができるといいます。が、それにいたるまでの道のりが険しいようです。

遺伝子組み替え作物のこともあります。この手の問題は深い。正直、このテーマは勉強不足なので、しっかり勉強していきたいと思っています。

将来的には、自家採取して、種を種苗メーカーに依存する、という状況から一歩前に進みたいとは思っています。が、それはまず、経済的に安定して成り立つようになってからの課題だと割り切っています。なんだか悔しいけど、F1種を使わないと自分の現状だとやっぱり厳しい。

だけど、できることはやっていきたい。という訳で、なにかのご縁です。こいつらの種取は試しにやってみよう。この、真中のすらっとしたやつはハンサムだぞ、左端のもなかなかどっしりとしてるぞ、こいつらの子もやっぱりハンサムかな、と考えるのはなかなか愉しいです。



しっかり堆肥をいれたおかげで、なかなかの豊作です。
お味のほうは、さていかがでしょう。これから味見します。

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普通のカボチャ、ミニカボチャ、白カボチャ、タイカボチャ。白カボチャは、寒い中保存していると甘味がまし、3月頃まで出荷できる予定です。タイカボチャは、友人から種をもらい、遊びで育ててみました。

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2007年10月17日 ひとりごと トラックバック:0 コメント:0

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